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交渉手帖 #01 ハラスメント職場 補償100万円”記録の力”



― 卑下しながら、辞めさせない


「卑下するくらいだから、いらないですよね?」
かつて私は、そう思っていました。

けれど現実には、理不尽な労働環境や違法な引き留めが、今この瞬間も、誰かの日常を蝕んでいます。
パワハラ、退職トラブル、そして法をかすめるような言動の数々。
そのすべてが、数年前の私の身に起こったことです。
そして、辞めることすら難しい会社でした。

これは、私が記録を武器に立ち上がり、補償を得て退職した話です。

弁護士にも頼らず、裁判にもならず、相手が“手を出しにくい状況”をつくって、対等な交渉に持ち込んだ。
そう言うと難しく聞こえるかもしれませんが、必要なのは少しの記録と、ほんのわずかな言い回しの工夫。
そして、「諦めない」という意思があれば、自分を蔑ろにする相手にダメージを与えることもできるのです。


― あの頃の職場


廃業、そして再就職
私は廃業後、家族を養うため会社員に戻ることにしました。生活のためですから、あまり選んではいられません。
転職サイトや口コミサイトなどでも悪評が少なく、ハラスメントに関する書き込みがなかったため、業界では中堅のデバイスメーカー(オーナー企業)に就職しました。
部長職というポジションを提示されたことで、自分の経験やノウハウを活かせる場だと思ったのです。

しかし、そこに待っていたのは、常識の通じない世界でした。


ギスギスが“標準設定”の社内
まず、社内の雰囲気が異常でした。
会議のたびに、いつも誰かが虐げられ、怒鳴られる。
「てめぇ、何やってんだ」「この野郎、いつまで使えねぇんだよ」といった罵声が、当たり前のように響いていました。

会議の進行中、社員の発言を遮り、「黙れ」と言い放つ場面も珍しくありません。
しかもそれが“その場の感情”ではなく、あらかじめ誰を攻撃するか決まっているかのような、周到な流れで行われるのです。

私も最初こそ、こうした言動に巻き込まれることはありませんでしたが、次第に的にされるようになっていきました。


ハラスメントは“社内文化”
プロパーの役員や管理職同士が手を組み、ある人物をターゲットにして叩き落とす。
私が入社して半年の間で管理職が5人も辞め、ついに私自身もその対象になりました。

ある日の会議で、「この数字はなんだ? 話にならん」「謝れ。今すぐここで全員に謝罪しろ」
その場で頭を下げさせられ、冷笑やため息が飛び交う中、謝るしかありませんでした。

しかし、怒鳴りつける上司を見て、使用する資料の情報を意図的に間違えて伝えていたことに気付きました。

資料の元情報を提供したのも、ミスを指摘したのも、すべて仕組まれていたのです。
つまり、「失敗するように仕向けられた」うえで、「謝罪を強要された」のです。意図的な“演出”です。
誰かを晒し者にし、その姿を見せつけることで、他の社員を黙らせる。そういう“マネジメント”が、その会社では当然のように行われていました。


懲罰人事
極めつけは、「懲罰人事」とも言える配置転換。
目をつけられた管理職は、総務部へ異動となり、敷地内の掃き掃除や、過去資料の紙を一枚一枚数えるという「罰ゲーム」のような仕事を割り当てられます。
しかも、これを正式な辞令で、掲示板や社内メールで全社員に通達するのです。

職場で、虐めてよい人材として「公認」される。
そんな陰湿なやり方が、普通に行われていました。


― 退職に向けて


限界を感じた日

限界を迎えたのは、ある会議の場でした。
その日は、私の隣に新入社員が座っていました。これから部署に配属される予定の社員です。
管理職以上の会議であり、挨拶だけして部署に戻る予定と聞いていたのですが、なぜかそのまま会議が始まり、聞かされていた順番を入れ替え、話題は私の担当案件へ。
そして、いつものように、仕込まれ誘導され、人為的に作られたミスを叱責し続け、役員の一人が新入社員らにこう言ったのです。

「ここにいる●●部長は、反面教師としては最高だが、それ以外の価値はない」
「この人のようになったら終わりだ。君たちはそうなるなよ」

笑いが漏れ、場が一斉に冷ややかになったのを覚えています。
新入社員らは、どう反応したらいいのか困っていたり、冷ややかな目線で私を見たりしていました。
私は、驚きと怒りが混ざったような感覚で、ただ無表情のまま固まっていました。

「これは、もう“事件”だ」と思いました。
仕事の問題ではなく、人格を潰す攻撃だったからです。


睡眠障害とフラッシュバック

その日を境に、私は眠れなくなりました。
何度も会議の場面が頭に浮かび、手が冷たくなる。過呼吸に近い症状が出たこともありました。
出勤すれば怒声が飛び、帰宅すれば不安が押し寄せる。
次第に、頭がぼんやりし、食事も取れなくなっていきました。
ある朝、電車のホームで「このまま別の電車に乗ってどこかへ行こう」と思った瞬間、このままでは“自分”が潰れると確信し、自分の限界が近いことを悟りました。


記録を「残す」と決めた日

それ以降、私はスマートフォンの録音機能を使い、指示などを録音し、記録しようとしました。
しかし、会社側も録音を警戒していたのか、スマホは机の上には置かないというルールがありました。
ズボンのポケットに入れて録音するなど工夫はしたものの、音がこもっていたり、雑音で肝心のセリフが聞き取れなかったりと、証拠としては不十分。

「このままでは、いざというときに使えない」
そう判断した私は、専用のレコーダーを購入することにしました。ネットで調べた結果、選んだのは「ペン型レコーダー」でした。

見た目は普通のペン。ボタンも目立たず、スーツの内ポケットやノートに挟んでも不自然ではありません。録音品質も高く、10時間程度の録音には十分でした。
私はこれを使い、出社から退勤まで、常に記録を取り続けるようになりました。

「今日は何も起きないかもしれない。でも、いつ何が起きても大丈夫なように」
その意識で、毎日、記録を「積み上げて」いったのです。


相談すれば“密告”される世界

もしもの際、証言を頼める人はいないかとも考えました。
しかし、相談しようにも、信頼できる人がいない。
むしろ、「誰がどこで何を言っていたか」は常にチェックされていました。

ボーナスの査定は、「どれだけ会社に貢献したか」ではなく、「どれだけ“都合のいい社員”か」で決まる。
役員に“有益な情報”を流せば加点評価。同僚を売ったとしても評価される。
結果、社内には“観客”と“加担者”しかおらず、“味方”はどこにもいませんでした。


メモすら許されない現実

社内での記録活動は、決して楽なものではありませんでした。
また、録音だけでは不十分な場面もありました。何時何分に、誰がどんな言葉を発したか。
そのタイミングを記録しておかないと、後から探すのが困難になるだけでなく、証拠として使えないものとなります。

しかし、スマホや紙の手帳に内容を書けば、見られるリスクがある。
そこで私は、会話のあった「時刻」と「キーワード」だけを、自分だけが読める記号で控えるようにしました。

― 戦闘開始


「反撃」ではなく「防御」

この記録は最初、誰かを訴えるための武器ではなく、“自分が潰れないための鎧”でした。
とにかく記録を取りながら、自分をなだめる。
「今日も録れた。大丈夫、何かあっても、証拠がある」
そう言い聞かせながら、次の職場が決まるまで、毎日を乗り切っていました。


退職交渉──そして、訴訟の示唆
やがて私は、次の職場が決まり、ついに退職を申し出ました。
しかし、そこからさらに“新たな戦い”が始まることになるのです。
退職の意思を伝えた日のことは、今もよく覚えています。
私は上司に、冷静にこう切り出しました。
「このままでは、業務にも支障が出るので、退職を希望します」
私としては、揉めるつもりなどありませんでした。
静かに円満に、そう考えていたのです。
ところが、相手の反応は驚くほど速く、攻撃的でした。
まずは即日、社内を混乱させた罰として「花壇の手入れと在庫台帳の点検」を命じられました。


「契約違反」?──存在しない誓約書の脅し

「退職は困る。というか、それは契約違反だ」
「顧問弁護士にも相談する。こちらは訴訟も辞さない」
しかし、私が入社時に交わした書面に、雇用期間に関する契約はなかったはずです。
「どの契約のことを言っているのですか?」と確認すると、
「会議室で渡しただろう」「そのとき署名した」と強く言い張ります。
しかし、私の記憶にはまったく残っていません。私は一瞬パニックになりました。
すると強気になった上司が、勝ち誇ったかのように退職を思いとどまるよう告げ、会議室を出て行きました。

理論武装
その日、帰宅した私は労働法や判例を徹底的に調べました。
弁護士ドットコムで類似事例を探し、退職できることを確認した上で、この無茶苦茶な会社に一撃与えることにしました。
それは、これまで誰も挑まなかったから、ここまで増長したのだと思ったからです。
翌日、私は上司をつかまえ、
「その契約書、もし存在するなら見せてください」
「私は持っていません。内容を確認してから判断したいです」
すると相手は、「探して渡す」と言って、強引に話し合いを終わらせ、去るようになりました。
もちろん、その後、何日が経っても、そのような資料を出してきませんでしたが。


「どうぞ訴えてください」と言った日

その後の数日間、花壇や在庫台帳と向かい合わない時間は、退職を諦めるよう、脅迫を受け続けました。
ただ、1週間経っても契約書を出してこなければ、存在しないものとして次の行動に移るつもりでいたので、流してはいました。

そして、1週間が過ぎ、訴訟をチラつかせる上司に対し、私は、ある“フレーズ”を使いました。
「どうぞ訴えてください。訴状が届いたら、対応いたします」
テレビの報道や企業不祥事の記事で、よく目にしていた“テンプレート的な”返答でした。
当時、法的知識も乏しかった私にとって、相手の攻撃を止めるには、この一言が最も効果的で、相手側の攻勢はピタリと止まりました。


― 攻守交代


なぜ、彼らは引き下がったのか

理由は、はっきりしています。
相手が提示していた「契約」は、“存在しないもの”もしくは、退職を牽制するためだけの“捏造物”だったのです。
仮に裁判になれば、証拠開示の中で「その契約書を提出してください」となる。
原本がなければ、文書偽造・私文書変造のリスクが生じます。

さらに、私がこれまで記録してきた音声データ。
それらには、叱責、暴言、不当指示といった、明らかにハラスメントと受け取れる会話が収められていましたし、私の態度から、それらの存在を感じ取っていたはずです。

これらの“リスク”を取ってまで、個人相手に裁判を起こすほどの余裕が、会社側にあるはずがなかったのです。


得られた悟り

実はこの頃、私は弁護士ドットコムで相談したり、法テラスで相談したりしました。
ですが、返ってきた言葉は、曖昧だったり、無難だったり、冷たくも現実的でした。
「訴状を見ない限り、具体的な助言はできません」
「契約書の真偽はこちらでは判断できません」
つまり、相談はできても“盾”にはなってくれない。
このとき、私は悟りました。
「結局、自分の身は自分で守るしかない」
そして、「備えとして記録したものを、攻撃力に変えなければならない」と。


補償を引き出す──冷静なディールへ

会社側との面談の際、私は次のような条件を提示しました。
契約書の提示ができないのであれば、業務引き継ぎ後の退職を認めること。
実績に見合わず不当に削減された賞与の補償や、精神的苦痛に対する補償をした上で、円満に退社できるよう双方が努力すること。
そして、それが叶わない場合は、証拠を従え、労基署や裁判所へ提起し、公正に捌いてもらいたいと考えていることを。

正直、この方法が“適正”だったかは分かりません。
けれど、私にとっては「こうすれば納得できる」というラインでした。
それ以上を求めて、関係をこじらせたくなかった。
会社側は、一瞬だけ黙り込んだあと、こう言いました。
「弁護士に確認してから回答する」


折れてきた相手

私は、1週間の自宅謹慎を命じられた後、人事部長から連絡が入りました。
まわりくどい言い方でしたが、要点は以下の3つでした。

「契約書は何かの過ちで紛失してしまった。紛失してしまった以上、争うことはできないので退職願を受理する」

「過ぎた賞与評価を改めることはできないが、有給の買い取り、謹慎期間分を含めた給与の全額支払い、退職金として100万円を支払う」
(→規定では、3年以上の在籍で退職金が支払われるとなっていましたが、私は2年に満たない在籍でした。
名目上は“退職金”という形式でしたが、会社の規定では私は受給条件を満たしておらず、実質的には慰謝料としての意味合いを持っていたことは明らかでした。)

「会議中に収集した情報の持ち出しをしないこと」

この時の私は、次の職場が決まっており、2ヶ月以内での退職が必要であったため、それらに合意し、その日の夕方に出社。
様々な書類にサインをして、その日付での退職となりました。

訴訟を避けて得た補償額の意味
私が得た100万円は、法的には“慰謝料”ではありません。
けれど、明らかに「証拠が存在する」ことが、相手を交渉の場へ引っ張り出し、金銭を支払わせる後押しになったのは確かです。
交渉とは、“法”と“情報”のあいだにある。
私はそう学びました。


― 今、思うこと


あのとき私は、「証拠を投げつける」ことで、目の前にあることを終わらせることしかできませんでした。
決してスマートなやり方ではなかったし、もっと先を見据えた、別の方法もあったのかもしれません。
でも、それでも、当時はそれで良かったと思っています。
「証拠がある」という事実が、私の心を支えてくれていました。
そして、それが“抑止力”となって、一方的に消耗されるだけの構図を変えることができたのです。


「戦うと決めた瞬間」が、すべてを変えた

録音を始めたとき、私はまだ“被害者”でした。
ただ、日々をしのぎ、いつか抜け出せる日を待っていた。
でも、退職を決意し、「訴えるなら受けて立つ」と決めたその瞬間、私は“交渉者”になったのだと思います。
そして、それは結果的に、相手を本気にさせずに退かせる「力」になりました。


泣き寝入りしないための“最初の一歩”

振り返れば、最初の一歩は「記録」でした。
音声、紙、メール、日付──
どれもが、“感情”ではなく“事実”を残す手段です。
怒りや悔しさは、時に記憶を曇らせます。
でも、記録だけは、黙ってそこにあり続けてくれる。
それが、「私は間違っていなかった」と、自分を信じる材料になったのです。


情と理、そしてお金の線引き

私は、精神的に追い詰められていましたが、それでも“高すぎる要求”はせず、相手に委ねました。
相手を潰すことが目的ではない。
ただ、「不当な扱いには、それ相応の償いを」という意思表示がしたかった。
交渉において、感情をぶつけるだけでは意味がない。
相手が納得し、こちらも妥協できる“ライン”を見極めることが重要なのです。
私の場合は、相手側が自ら“危険”を察知したことで、妥当なレベルでの提案をしてきたため、それ以上の要求はしませんでした。
あの時は、さすが顧問弁護士がいるだけはあるなと、思いもしました。


交渉者としての第一歩

このときの経験は、私にとって「交渉者としてのはじまり」でした。
次に入社した外資系企業では、さらに巧妙で、高度な“組織との駆け引き”が待っていました。
でも、この最初の一件があったからこそ、私は戦い方を覚え、武器の選び方を知ることができたのです。


「自分を守る力」は、自分で育てられる

このnoteでは、私が実際に体験し、考え抜き、行動して得た“交渉術”をこれからも順に書いていこうと思います。
あなたが今、何かに悩んでいるなら。
泣き寝入りしかけているなら。
どうか、この記事が「一歩」を踏み出す支えになりますように。

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