見出し画像

ブイヤベースの秘密【 シロクマ文芸部 】

「波の音」が聞こえたら、完成です。

今日は待ちに待った金曜日。
毎日のきつーい仕事から解放される特別な日だ。
そんな日は家で一人、凝った料理を作ると決めている。
そのため最近は同僚からの誘いを断っているのだが
同僚たちの間ではどうやら僕に彼女ができたらしいと
噂になっているようだ。
だが残念なことに僕の手料理を食べてくれるような優しい彼女は
今のところできてはいない。
だからこそ美味しい料理を作って一人ゆっくりと味わう時間が
今の僕にとっては至福の時なのだ。

今晩のメニューは今回が初挑戦となるブイヤベースだ。
最近料理に凝っているとはいえ、まだまだ修行中の身。
そんな僕の頼もしい相棒はもちろんお気に入りのレシピ本だ。
鼻唄を歌いながら僕はいつものエプロンをつける。
材料は前日に用意しておいたので早速調理スタート。

白身魚、えび、イカ、あさり、玉ねぎ、ニンニク、セロリ…
それら下ごしらえが済んだらまずは鍋で野菜を炒めて
そこに白ワインやトマト缶と一緒に調味料を入れる。
そして最後に魚介類を入れたら、後はアクをとりながらゆっくりと煮込む。
そういえばたしかここで何か重要なことが書いてあったような気が。
僕は再度レシピを確かめる。
えーっと…ん?なんだこれ?

鍋から「波の音」が聞こえたら、完成です。

波の音…?

不思議に思ったがとりあえず僕はレシピを忠実に守ることにした。
そして完成間近になり、レシピ通り鍋に耳を澄ませる。
すると鍋から微かに音がし始めた。

ザーン、ササァー、ザーン、ササァー…。

「あ、波の音…」

それはまさしくレシピ通り「波の音」だった。
つまりこの鍋の中は海…ということだろうか。
たしかに今鍋の中には色んな海の仲間たちがいる。
まぁそれはそうなんだけど、でも…

そうして僕が考え込んでいる間にも鍋の中では具材たちが
クプクプと楽しそうに煮込まれている。
段々それらがゆらゆらと何かをしているように見えてきた。
これはダンスなのか?だとしても決して激しい動きではない。
ゆったりとお淑やかに踊っているような、そんな感じだ。
もしかすると海のみんなが僕のために「美味しくなぁれ」と
祈りながら踊ってくれているのかもしれない…!

ピピピピピピ…

すると突然タイマーが鳴り、僕はハッと我に返る。
あれ?タイマーなんか設定したっけ?
気づくといつの間にか波の音もすっかり聞こえなくなっていた。
僕は慌ててすぐに鍋の火を止める。
もしこのまま煮込み続けたらスープが台無しになる気がしたのだ。
それに波の音が消えたということは多分そういうことなのだろう。

その後完成したスープはとてもいい表情をしていた。
初挑戦にも関わらずこの出来栄え、最高すぎる。
スープに向かう手も一向に止まらない。
疲れ切った心と体にじんわりと染み込んでいく。
僕は今、間違いなく世界で一番の幸せ者だろう。
鍋の中からこちらを見ているムール貝たちみんなが
僕を祝福してくれているようにすら思える。
僕はとうとう最高のブイヤベースに出会ったのだ。
それもすべてはこのレシピのお陰だと思っている。
僕は嬉しくなってもう一度レシピを眺める。
すると…

…に火が通ったら、完成です。

え?「波の音」が消えてる…?

僕はその後何度ページを読み返しても
あの「波の音」を見つけることはできなかった。
あれは一体何だったのだろう…

恐らくあの時僕は知ってしまったのだ。
誰も知らないブイヤベースのとっておきの「秘密」を。

あれからブイヤベースは僕の一番の得意料理となり
特別な日には必ず作る大切な定番料理になっている。
実はちょうど今もその美味しいブイヤベースを作っていた所だ。

「あなたのブイヤベースって本当に最高よね。何か秘密があるの?」

それはね…



ザーン、ササァー、ザーン、ササァー…


【おしまい】

***

今週のシロクマ文芸部でした🐨


いいなと思ったら応援しよう!

ねじり 最後まで読んでいただきありがとうございます🐨! いただいたサポートは創作の為に大切に使わせていただきます🍀