大伴昌司と『少年マガジン』の黄金時代 7 衝撃の橘外男シリーズ
7 衝撃の橘外男シリーズ
ここでちょっと寄り道をして、六九年のもうひとつのトピックス、橘外男シリーズについて触れてみたい。
このシリーズは、特に「シリーズ」と銘打っていないのだが、同じ小説家の作品を複数のマンガ家がコミカライズするという試みは、『マガジン』初の企画でもあった。
掲載作品は以下の通り。
一月一二日・三号(一月一二日号)「チャブロ原人境」(さいとう・たかを)
三月一六日・一二号~三月二三日・一三号「ベイラの獅子像」(大倉元則)
四月六日・一五号「女豹ドクター」(阿部兼士)
四月一三日・一六号~四月二○日・一七号「ウニデス潮流のかなた」(池上遼一)
五月二五日・二一号~六月一日・二二号「人を呼ぶ湖」(小畑しゅんじ)
それにしても、何でよりによって橘外男だったのだろうと思う。
確かに橘外男は魅力的な作家である。
「実話」を装った奇談の名手であり、秘境ものをはじめとして、純然たる怪談の傑作や、自らの体験を虚実皮膜を自在に往復しながら「語る」「騙り」の見事さは、偉大なるペテン師とでも形容したくなるほどだ。それだけに、どこか少年誌には似合わない印象もある。巻頭グラビアを飾った香山滋や小栗虫太郎の系列に並ぶ作家であることは間違いないのだが、それでは何故、香山や小栗ではいけなかったのだろう? 小栗作品は他誌(『少年キング』)でコミカライズされたが、香山作品なら「ゴジラの原作者」として、年少の読者にもアピールしたはずと思えてならない。
いや、別にここで橘作品を貶めようというのではない。むしろ当時も、そして今でも、一般的には決して知名度の高い作家とはいえない橘の作品を紹介したところに、『マガジン』の心意気を感じるのである。
具体的に作品を読んでみると、第一弾となるさいとう・たかを「チャブロ原人境」(原作は「『死の蔭』【ルビ「チャブロ・マチュロ」】探検記」)が巻頭カラー、七○ページ一挙掲載と、破格の扱いになっていて、編集部の意気込みを感じさせる。また、この号の巻頭グラビアは大伴の企画・構成による「大地底」で、秘境探検というテーマで連動しているところも見事である。また、連載中の『八つ墓村』は、鍾乳洞内で鎧を纏った要蔵の死体を発見する回で、ここでも奇妙な連動感があるのが面白い。
導入部で、橘お得意の「実話」テイストを導入しつつ、主人公の若き日の集合写真の中に、ちゃっかりとさいとう自身が紛れ込んでいるという、まさに「橘式」のお遊びが楽しい。映画的手法で、物語を「見せる」さいとうのペンも脂がのっていて、まるでスピルバーグの映画を観ているような気分にさせてくれる。さいとうはこの号で、連載中の『無用ノ介』も執筆していて大活躍だが、いち早くプロダクション・システムによる分業を実践した作家とはいえ、年末進行はさぞ大変だったろうなと推測される。残念なのは、カラーページは冒頭の一六ページだけで、あとは単色になってしまうことである。
「ベイラの獅子像」は、ろくでなしの父親を助けるために、自ら犠牲となってライオンに喰い殺された少年の残酷物語。この残酷さは橘作品の特徴のひとつであり、その傾向の作風としては久生十蘭の一連の残酷ものと比肩しうるものである。大倉元則の絵は、やや丸みを残した少年マンガ風で、残酷で理不尽な物語を少年のヒロイズムに昇華しようと意図したものと思われる。作者の大倉元則については、学研の『まんが日本の歴史』や『まんが人物日本史』などを執筆していることがインターネットの検索で判明したが、詳しいプロフィール等は不明。これはあくまでも私的な憶測でしかないのだが、本作の脇役キャラクターの造型に、どこかギャグ路線の川崎のぼる作品(『いなかっぺ大将』など)に共通するテイストを感じるので、もしかしたらカワサキプロのアシスタント出身の作家かも知れない。
「女豹ドクター」(原題「女豹の博士」)はシリーズの白眉ともいうべき作品。白痴の治療のために禁断の手術に挑み、自滅して行く女医の物語は、前年放送された円谷プロの特撮ドラマ『怪奇大作戦』にも共通するテイストがあり、リアルタイムの読者だった少年(オレのことだよ、念のため)の心に深い印象を残した。なんといっても、「脳ミソを切り刻んで、涙する血まみれの女医」というヴィジュアルのインパクトは凄まじかった。まさに「トラウマ・マンガ」である。インターネットの匿名掲示板として有名な「2ちゃんねる」のトラウマ・マンガについてのスレッドでも、この作品を挙げる発言者があり、我が意を得たりと思った次第である。作者の阿部兼士は、この年『マガジン』誌上に「透明霊人」
「沈黙の魔峰」「車は敵だ!」を発表、また七一年には『少年ジャンプ』で五味川純平の戦争文学の傑作『人間の條件』をコミカライズしているらしいが、その後の消息は不明である。
「ウニデス潮流のかなた」(原題「ウニデス潮流の彼方」)を描いた池上遼一は、さいとう・たかをと並ぶビッグ・ネームで、のちに小池一夫と組んだ一連の作品群で人気作家となった。この当時は『男組』などで顕著なハードなリアリズム・タッチではなく、まだ少年マンガ風の柔らかいタッチを残している。余談になるが、池上遼一といえば、平井和正がストーリーを提供(その一部はのちに『ウルフガイ』シリーズへと発展する)した和製『スパイダーマン』で、一部の読者に絶大な支持を得ている作家である。本作では主人公を日本人に設定するなどの大幅なアレンジがなされていて、評価が分かれるところだろう。池上遼一はのちに橘の「陰獣トリステサ」もコミカライズしているし、アクション劇画の巨匠という表の顔とは別に、怪奇幻想系列の作品群も少なからずあり、むしろこちらの方が作者の趣味嗜好に合った世界なのではと思えるほどである。
シリーズの掉尾を飾る「人を呼ぶ湖」には、特別な趣向が仕掛けられた。作者を「覆面まんが家」とし、その正体に懸賞がかけられたのである。扉ページには「賞金20万円」と謳っているが、応募の詳細を読むと、「一人一万円」で二○人に当たるというということであった。それにしても、六九年当時の一万円であるから、子供だけでなく、青年層の読者にも魅力ある金額だったに違いない。ちなみにこの覆面作家は『ガッツジュン』などのヒット作を放つことになる小畑しゅんじ。他誌で『キャプテンウルトラ』のコミカライズを連載し、単行本も出ていたので、当時の少年たちには比較的馴染みのある作家だっただけに、正体は容易に見破られたという次第である。
こうして約半年にわたって展開した企画は幕を閉じるのだが、このシリーズの企画者は誰だろう?
一連の巻頭グラビアとの関連からして、大伴昌司という線でずっと考えていたのだが、もう一人、興味深い人物が当時の『少年マガジン』に関わっていることに最近になって気がついた。のちにSF作家・式貴士、あるいは官能作家・蘭光生として著名になるミステリ評論家で雑学博士の間羊太郎である。旧『宝石』(岩谷書店)の「ミステリ博物館」(のちに『ミステリ百科事典』とタイトルを変え、出版社を渡り歩き、版を変え、現在も読み継がれている)の筆者としてミステリ・ファンに馴染みの深い人物だが、『少年マガジン』には六八年から連載コラム「へんな学校」の雑学博士として登場している。
「おなら学入門」に始まったシリーズは、「トイレ学入門」「下着学入門」などの下ネタを挟みつつ、「任侠学入門」「あるこーる学入門」と少年誌にあるまじき不道徳な分野にまで逸脱しつつ、ユニークな誌面を展開して行った。『少年マガジン』黄金時代を担った作家のひとりである。
のちに展開される式貴士、蘭光生の作品傾向から推定すると、橘外男の作風と共通するものが感じられなくもない。特にその、官能的とも言える残酷性に、同様の嗜好性を感じるのだ。
そう考えると、この橘外男シリーズの企画は、間羊太郎による発案の可能性が強いと、今は考えている。
