[ショートストーリー]待ってる
夜店から、美味しそうな匂いが漂ってくる。浴衣姿の朱里は、いつものTシャツとジーンズの雄也の顔を見あげた。
「トウモロコシかな?いい匂いだね」
雄也は朱里を見て、優しく笑う。
「そうだな」
「ね、一本買って、二人で半分こする?」
「いや、しない」
雄也は朱里の手を少し強く握り直すと、ゆっくりと屋台を通り過ぎた。朱里もそれ以上は無理を言わず、雄也と並んで歩いて行く。
様々な夜店が並んだ通りを、手をつないだままで歩いて行く。やがて金魚すくいの店を見つけると、雄也がいたずらっぽく朱里に言った。
「あれ、競争してみるか?」
「いいけど、私が勝っても拗ねたりしないでね」
「ああ、絶対に俺が勝つから心配いらない」
「うわあ〜絶対に勝ってやるんだから!」
二人でしゃがみ込んで、真剣勝負となった。結果は、朱里は可愛い出目金が二匹なのに対し、雄也はなんと客寄せの大きなリュウキンを掬ってみせた。数だけなら朱里の方が多いが、これで勝ったとはとても言えない。掬った金魚の持ち帰りは断って店を離れると、朱里は口をとがらせた。
「あーあ、やっぱり私の負けかぁ」
「俺に勝とうなんて百年早かったな」
「もう!数では私の勝ちなんだからね!でも潔く負けを認めたんだよ?ちょっとぐらい褒めてもいいと思うんだけど」
「そうだな、偉い偉い」
「何よそれ、全然感情がこもってないじゃん!」
むう、とふくれる朱里を見て、雄也は可笑しそうに笑った。
その後、雄也は射的で見事に犬のぬいぐるみをゲットすると、朱里に渡してくれた。
「ごめん、犬しか取れなかったよ。朱里、猫の方が好きだったのにな」
少し申し訳なさそうに雄也は言ったが、朱里は首を振る。
「ううん、猫ね、今は好きじゃないの。だから犬の方が嬉しい。この子、ちょっとタレ目で可愛いし、何となく雄也に似てるような……?」
「え?いやいや、似てないって!俺、そんな情けない顔してないし。もっとよく見てみろよ、ほら」
本気で不服そうに顔を突き出す雄也が可笑しくて、朱里はフフッと笑った。
それから朱里はヨーヨー釣りを見つけ、ぬいぐるみを雄也に持ってもらって挑戦することにした。
「やったあ!この模様が欲しかったんだ!」
何とか成功し、赤地に白いラインの入った水風船を手に入れる。白地の浴衣によく映えるように思えて嬉しくて、雄也とつないでいない方の手の中指にゴムを通し、パンパンと器用に弾ませながら歩いた。その間も、夜店からは途切れなくいい匂いが漂っている。トウモロコシの次は、たこ焼きと焼きそば、それからアメリカンドッグに綿菓子、フライドポテト、イカ焼き。けれど雄也は何も買わず、カキ氷やジュースすら見向きもしない。
やがて夜店の列が終わりに近づいて来ると、朱里は雄也の手を握ったまま、不意に立ち止まった。
「……朱里?」
朱里は雄也の顔を見ず、前を向いたままで聞いた。
「ね、ここで何か一緒に食べたら、ずっと雄也と居られるの?」
雄也がハッと息を呑む。短い沈黙の後、雄也はユルユルと首を横に振った。
「そうかも知れない。でも、俺はそうしたくない」
朱里は薄く笑った。笑ったのに、何故か涙がこぼれてくる。
「もう、勝手だよね。私一人を残して逝ったくせに」
「ああ……ごめんな」
今年の夏祭りは、二人で行こうって約束していたのに。夏祭りの1週間前になって、雄也はバイクの事故であっけなく死んでしまった。道に飛び出してきた小猫を避けようとして転倒し、身体を強く打ち付け、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。朱里はその現実をどうしても受け止められず、ただただ泣き続けていた。夜も眠れず、食欲もなく、日ごとにやつれていくだけ。家族や友人が心配する言葉も、どこか遠くを通り過ぎているようだった。雄也のいない世界なんて何の意味もない。朱里の願いは、もう一度雄也に会いたい、そしてもう二度と離れたくない、それだけだった。
どこにも出かけることなく、毎日部屋に閉じこもって、全然欲しくもない食事をほんの少し、何とか流し込む。そうしないと家族が病院に連れて行くし、連れて行かれると点滴を打たれてしまうから。そんな命をつなぐようなこと、して欲しくないのに。このまま朽ち果ててしまいたいと、朱里は本気で思っていた。
そんなある日、とうとう朱里は倒れた。用意してくれた朝食をほとんど残したまま、ダイニングの椅子から立ち上がった瞬間、視界がサーッと暗くなったのだ。あっ、と思ったが全く手足に力が入らず、そのまま崩れ落ち、意識を失ってしまった。
そして気がつくと、雄也と夏祭りに来ていた。初めて見せるはずだった新しい浴衣を着て、しっかり手をつないで。朱里は、雄也が迎えに来てくれたのだと胸が高鳴った。けれど、違ったようだ。
ここは、どうやら雄也がいる世界に近いらしい。俗に言う「あの世」というものなのだろう。だから雄也は、朱里に何も食べさせたり飲ませたりしなかったのだ。この世界の物に口を付けなければ、朱里が元の世界に無事に帰れるだろう、と。
「俺は、朱里にはまだこっちに来てほしくないんだよ。それをちゃんと言いたかったんだ」
とても辛そうに、けれどはっきりと雄也は言った。
「でも……無理だよ。私、雄也がいないと、生きていたくないもん。雄也がいないのに、何で私は息をしてるんだろうって、そんな自分が嫌で、どうしようもなくて……」
「俺はそんなこと望んでないよ」
「分かってる、でも私が無理なの!」
「朱里……」
「連れて行ってよ!雄也のところへ。どんなところでもいいよ、雄也がいるなら」
「朱里、そんなに思ってもらえて、俺は幸せだと思うよ。でも」
「お願い!もう私はこれ以上……」
「朱里、聞いて!」
雄也が朱里の肩を掴み、正面から顔を見つめる。聞いたことのない雄也の強い声に、朱里は驚いて固まった。雄也は少し声を和らげると、ゆっくりと言葉を続けた。
「本当に朱里がそこまで俺を好きでいてくれるなら、俺は待ってるから。ずっとずっと、朱里が頑張って生きて、おばあちゃんになって、自然にこっちに来るまで、絶対に待ってるから。だから、朱里にはもっと自分の命を生きて欲しいんだ。俺のために、途中で自分を捨ててしまうことだけはやめてくれ。そんな朱里、俺は見たくないんだよ」
「雄也……」
「ま、そうするうちに俺より好きなやつができちまったら……ちょっとさみしいけど、俺も待つのをやめるよ。でも!それまではちゃんと待ってる。だから、朱里は元の世界へ帰れ。ちゃんと食べて、寝て、笑って、怒って、俺の好きな朱里でいて欲しいんだ」
そう言われてしまうと、朱里はもう反論できなかった。
「……雄也、その言い方はずるいよ」
「何が?」
「だって、待っててくれるんだ、って思っちゃったじゃない」
「うん、本当に待ってるから」
「約束だよ?」
「ああ、元々の夏祭りの約束は守れなかったけど、今度は絶対に守るから」
「私、雄也に会う頃にはおばあちゃんになってるかも知れないよ?」
「うん、おばあちゃんになった朱里も見てみたいから、楽しみにしておくよ」
「もう……しょうがないなあ」
朱里は涙を拭いながら笑う。それを見て微笑む雄也の瞳からも、今にも涙があふれそうなことに朱里は気がついていた。
ふと見渡すと、夜店の灯りが消え始めている。もう、この世界のお祭りは終わりが近いのだろう。二人はもう一度しっかりと手をつなぐと、ゆっくりと歩き出す。雄也に預けていたはずのぬいぐるみも、朱里が持っていた水風船も、いつの間にか消えていた。夜店の列の最後まで来ると、二人は向かい合う。雄也は優しく朱里を抱きしめると、耳元で囁いた。
「あのさ、なかなか言い出せなかったんだけど……」
「ん?なに?」
「その浴衣、すごく似合ってる。可愛い」
朱里の胸が温かくなる。なのに、どうしようもなく切ない。
「もう、遅いよ。なんにも言ってくれないから、ちょっと心配しちゃったじゃない」
「ご、ごめん」
「でも、嬉しい。ありがと」
「……」
雄也は何も言わず、朱里をもう少しだけ強く抱きしめた。
やがてその腕をほどくと、二人はもう一度向き合う。
「じゃあ……またね」
「ああ、またな」
微笑みながら手を振ると、わずかに残っていた夜店の灯りも次々に消え、辺りは闇に包まれていく。朱里の意識は段々と遠くなるが、それでも、雄也と交わした約束だけは絶対に忘れない。
待っててね、雄也。私も胸を張ってあなたに会える日を、ずっと待ちながら生きていくから。
(完)
こんばんは。こちらに参加させていただきます。
小牧さん、よろしくお願いします。
読んでくださった方、ありがとうございました。
