閑話・健康麻雀農業クラブの小旅行
登場人物
・私:この記事を書いている人。
・夫:私の夫で農業活動のリーダー。
・怠け者:下手するとソファと一体化してしまう連絡不精。
・チーター(旧妻子持ち):愛する妻とかわいい息子がいる。農作業中のチート行為により呼称変更。
・農家の孫:4人より一つ年下。元専業農家の孫であり、親不孝なバカ息子。
「ゲソ天蕎麦食べたいな〜」
テレビで甲子園観戦をしていたら、夫がなんの脈略もなくぽつりとつぶやいた。
「行きましょう!」
こういうのは思い立ったが吉日、そんでもって、面白い奴がそこそこいた方が楽しい。そういう時に声を掛けやすいのは、やはり麻雀戦士達以外にはいないだろう。
夫がグループLINEに「ゲソ天蕎麦食いに行こう」と書き込んだら、早速農家の孫から「良いですね!行きましょう!」と返信が来た。農家の孫は少し前に結構長いこと付き合っていた彼女とお別れし、絶賛暇を持て余しているようだ。
チーターからは「今日は家族でお出かけなので」と連絡があった。突然の声掛けに対応できないというのは、ある意味でひとつの幸せの表れだと思っている。
さて、残るは怠け者であるが、彼は休日となると、いつも遅い返信が更に遅くなる。ひどい時は24時間既読がつかないこともあって、そうなると命が無事なのかどうか少々心配になる。
時刻は10時を指しており、ランチにゲソ天蕎麦を食べることを考えると11時には自宅を出発したいところだ。「今回は三人旅になるかな」と思っていたら、10時15分に怠け者から「ノ」と返信が来た。奇跡である。
だが油断してはいけない。彼は二度寝の達人である。農家の孫からは「準備します!」と連絡が来ていたが、怠け者からは「ノ」以降音沙汰が無い。
そうなると次に油断するのが夫である。
「怠け者はね、ここから突然『今から行きます』のパターンがあるけど、それも稀だからね」
「二度寝してるだろうし」と言って、ゴロゴロする身体を一向に起こそうとしない。
私はいかなるパターンも考慮し、身支度を既に済ませていた。ゲソ天蕎麦を食べるということだけは、私の中では決定事項なのである。
10時58分、怠け者から「今から行きます」と連絡が来た。
「そのパターンかよ!!!!!」と夫が叫び、家の中を走り回っていた。言わんこっちゃ無い。何故我々はいつも誰かが油断をしているのか。
結局全員が集合したのは11時15分で、一番遅刻してきたのが農家の孫だった。全員怠け者の動向に振り回され過ぎである。
「奴は案外遅刻しない」ということに気が付いているのは、どうやら私だけのようだ。
🦑 🀄️ 🦑
ゲソ天蕎麦にありつくには、車で1時間以上かけて移動する必要があるのだが、道中は大体「農家の孫の道楽息子話」で盛り上がった。これまで触れてこなかったが、奴はなかなかのクズである。
「ちょっと聞いてくださいよ〜」で彼の話が始まる時、彼は愚痴を話しているつもりのようだが、ほとんどが「いやお前が悪いだろ」という結論に落ち着く。今回の愚痴は、実家暮らしのくせに、母が作る飯に文句をつけたという話だった。
聞き手の我々はポンコツながらに割と分別のある大人なので、「作っていないのに文句を言うな」だの、「そのくらい自分で用意しろ」だの、彼の母親が言いたそうなことをそれぞれ代弁した。
その他、彼の口から話されるエピソードにはどれもまったく共感が出来ない。「流石に『こどおじ』過ぎるだろ」と言う我々に対して、彼は少々納得がいかないといった表情で首を傾げていた。
「まあ結婚願望もないのでね」と偉そうに言っていたので、「結婚願望があっても絶対結婚したくないタイプだわ」と、30代既婚女性のどストレート意見を豪速球でブン投げておいた。そこそこ喰らっていたようである。
途中、全員で「トイレ行きたい」の大合唱を挟みつつ、なんとか目的地である蕎麦屋に辿り着いた。Google情報では「14時閉店」と書いてあったので、13時前に着いた我々は車中で「ゲソ天!ゲソ天!」とコールしていた。が、店の前を通ると「本日終了」と、明朝体で丁寧に書かれたお知らせが貼り出されていた。
バチクソブチギレ案件である。せっかく1時間以上かけてここまで来たというのに。
諦めきれない我々は、そこから車で10分程度の蕎麦屋へと向かうことにした。マクドナルドとかラーメン屋とか、そういうのに色目を使われて辛抱たまらなかったが、どうにかそれを振り切り、無事に2件目の蕎麦屋へと辿り着いた。
道中、『一年間の婚活で幸せを!』という看板を見つけ、一応結婚というものに興味があるらしい怠け者に「一年で結婚出来るらしいぞ」と伝えたら、「俺はそんな甘えた気持ちで向かってきてほしく無いね」とほざいていた。やかましいわ。
入店するには少しだけ並ぶようだが、並ぶということはすなわち美味いということだろう。ここまで来たら何がなんでもゲソ天蕎麦が食べたい。35度の炎天下の中30分程並び、我々は無事に蕎麦屋へと入店した。
🦑 🀄️ 🦑
入店し、広々とした座卓席へと通された我々は、蕎麦茶をすすりながらメニューを見て愕然とした。なんとゲソ天が無いのである。私なんかは蕎麦よりもゲソ天の方が楽しみですらあった。いや、ゲソ天と蕎麦のマリアージュを楽しみたかった。
悔しさで激しく台パンしたい気持ちをグッと堪え、落ち着いてメニューに目を通す。ゲソ天は無いがイカ天があるじゃないか!ゲソ天はイカ天だろ!
暑さと空腹でいろいろなことが大雑把になっていた。そもそも蕎麦屋を調べ直す時点で気付かなかったのが悪いのである。私は「イカっぽい天ぷらが食べられれば良い」くらいの気持ちに切り替わっていた。とにかく腹が減って仕方が無かったのである。
蕎麦はあまり待たずに食べられたのだが、初めて「本当の蕎麦」を食べたような気がする。テレビなんかで「コシが強い」なんて言葉をよく耳にしていたが、今まで食べてきた蕎麦では「コシ」がなんたるものか、全くピンと来ていなかった。
だが眼の前の蕎麦を一口食べて、「これがコシというものか!」と思わず感動してしまった。私が食べてきたものは一体なんだったのかと、少し疑問に思った程である。
全員分の蕎麦とイカ天が届き、立川談志似のおじいさんが「これで全部ですね」と満足気な顔をしていた。我々は全員無言で見つめ合い、「セットの野菜天がまだ……」と少し申し訳なさを込めながら伝えた。談志さんは「すみません!すぐ作ります!」と慌てて去り、我々は蕎麦をどれくらい食べ進めるべきか、各々のおなかと相談することになった。
各々が真剣な顔で探り合い、手を止めたり空中を見つめてぼけっとしたりしていた。こういう時、おしゃべりな我々も何故か黙ってしまうのが妙に可笑しかった。
「お待たせしました!すみません!ゆっくり食べてくれてたんですね!」と言う談志さんの、少し困った笑顔がすてきだった。おかげで熱々の天ぷらをいただけるのだから結果オーライである。
天ぷらの中に、あまり見たことのないオレンジ色の野菜があった。
「これなんだろう」と私が問いかけると、一口食べた農家の孫が「かぼちゃですね」と言う。
(かぼちゃの天ぷらは隣にあるけど、これもかぼちゃなのか。随分と鮮やかな色だ)と思いながら口に運ぶと、めちゃくちゃニンジンだった。「めちゃくちゃニンジンじゃない?」と言うと、農家の孫も一口食べて「これはニンジンですね」と掌を返していた。
(味覚音痴過ぎて食べさせ甲斐の無い奴のくせに、作った物に文句をつけられるなんてお母さんが気の毒だな)と心底思った。
美味い蕎麦に美味い天ぷらで、あっという間に満腹になった。ゲソ天は食べられなかったが、イカ天もプリプリとした歯応えがあってとても美味しかった。
さて、満腹になるとさっさと帰路につくのが我々である。何故ならば麻雀をしなければならないからだ。
帰り道、やたらと尖った看板の牛角があった。夫が「あの牛角尖り過ぎだろ」と言ったのがツボにハマってしまい、汗だくになる程笑ってしまった。
あまりのゲラぶりに全員が心配しつつ、「幸せ者だね」と言ってくれた。
続けて「何を言っても笑ってくれるのでありがたい」とか、「他で同じ話をしても全然ウケない」だのと言っていた。私はどうやらみんなのことを知らず知らずのうちに幸せにしていたらしい。
途中、トイレ休憩に寄った道の駅でソフトクリームを食べることになったが、農家の孫が「ここのソフトクリームはバニラしか無い」と言っていた。元カノと来た時にそう思って食べなかったのだと言う。
しかし実際に売り場に行ってみると、4種類もフレーバーがあった。「あまり適当なことを言うなよ」と、またしても我々に叱責されていたが、「前回来た時は無かったんですよ」となかなか譲らない農家の孫であった。ホームページには随分前から掲載されていたようなので、多分それは幻である。
🦑 🀄️ 🦑
最近、「すこやか」とはどういう状態なのかを考えるようになった。三食食べてきちんと睡眠を摂ることは言わずもがな「すこやか」であるが、私の思う「すこやか」はちょっと違う。
気の置けない人とくだらないことで笑ったり、美味しいものを共有したり、突然遊びに行けることも「すこやか」の一つであると感じている。更に言えば、「何を食べ、何をするか」ということよりも、「誰とするか」ということの方が大事なのではないかと思うのだ。
帰り道、車の中で「最近の我々はアクティブだ」という話になった。家庭菜園をしたり、こうやって麻雀から離れて出掛けてみたり、今までの我々とは一味も二味も違う。家の中でひたすらに麻雀をすることも楽しくはあるが、新しいことに挑戦することやそれに付き合ってくれる人がいることも、「すこやか」でいることの欠片となっている。
「次はどこに行く?」と声を掛けた時、嫌がる人は一人もいなかった。「釣りがしたい」と怠け者が言い、全員で「涼しくなったら釣りをしよう」とその場で約束をした。多分、過去の私たちであれば「その場限りの言葉」になってしまっていたと思うけれど、今の私たちは違う。
帰宅して、「イカ釣りをしよう」とか、「夏でも夜釣りなら涼しいのではないか」とか、そういう話でソワソワと盛り上がった。夏野菜の収穫も控えているが、更にその少し先で楽しい約束が待っているのは、それはそれは「すこやか」なことであると私は思うのだ。
おまけ




イカ天とソフトクリームの写真は撮り忘れ。
おわり
↓これまでの活動記録
