コスト感覚のない人に、文句を言う資格はない
他人に文句を言う人は多い。
だが、その文句に重みがあるかどうかは別だ。
自分では背負わない。
自分では処理しない。
自分では立て直さない。
それなのに、言うことだけは一人前。
正直、滑稽だと思う。
立ちゆかなくなったら、他人に丸投げ。
責任は放棄。
でも、不満だけはしっかり口にする。
それで何かを語っているつもりなのだとしたら、だいぶ都合がいい。
私は、こういう人を見るたびに思う。
言う立場もなければ、言う資格もない。
もちろん、誰だって意見を持つのは自由だ。
だが、自由と重みは別の話である。
責任を引き受けていない人の言葉は軽い。
なぜなら、その人は結果に対して何も支払っていないからだ。
失敗しても痛まない。
崩れても困らない。
後始末もしない。
その場所に最後まで立たない。
そんな人の評価が、なぜ当事者より上に来るのだろうか。
来るわけがない。
本来、重みのある言葉というのは、背負った人間の側にある。
面倒を引き受けた人。
コストを知っている人。
最後まで処理する人。
崩れた後の現実を見ている人。
そういう人の言葉には、少なくとも現実がある。
逆に、現実に触れていない人ほど、言葉だけが軽く飛ぶ。
外から好き勝手に言うのは簡単だ。
責任を取らなくていい立場なら、なおさら簡単だ。
だが、簡単に言えることと、言っていいことは同じではない。
個人で何かをやっていると、こういう場面に何度も出くわす。
コストを理解しない人。
他人の労力を軽く扱う人。
敬意もなく口だけ出す人。
そういう相手にまで、丁寧に理解されようとする必要はないのだと思う。
なぜなら、問題は説明不足ではなく、姿勢の不足だからだ。
敬意のない人は、説明を増やしても変わらない。
責任を取らない人は、都合のいいところだけ受け取る。
コスト感覚のない人は、他人の負担をいつまでも軽く見積もる。
だったら、無理に合わせなくていい。
全員にわかってもらおうとしなくていい。
背負わない人の言葉まで、真に受けなくていい。
大事なのは、誰が何を言ったかではなく、
その人が何を背負っているかだ。
人の本質は、立派な言葉では出ない。
追い込まれた時に何をするかで出る。
崩れた時に逃げる人間は、最初からその程度だったというだけだ。
だから私は、責任を取らない人の批評を重く扱わない。
参考にしない。
合わせない。
評価者の席に座りたがるだけの人に、私の基準を渡す気はない。
背負っていない人の言葉は軽い。
それだけのことだ。
Nemesis - ASTRA -
前回のテーマ:
