決めつけは、思考停止の最短ルートだ。
決めつけは、思考停止の最短ルートだ。
そして私は、気づかないうちにそのルートを何度も選んでいた。
イスラム教と聞くと、どこかで身構えていた。
午後11:24 · 2025年11月4日
ずっと見ていて思ったこと。
イスラム教徒 = 傲慢、無秩序
私は、世界各地で迷惑行為をする人たちと結論づけた。
「危ない宗教なんじゃないか」
「テロのイメージがある」
「無法地帯でも許されるのかもしれない」
ニュースやSNSで繰り返し流れてくる映像が、私の中に“それらしい像”を作っていた。
深く調べたわけでもない。
原典を読んだわけでもない。
当事者の話を聞いたわけでもない。
それでも私は、なんとなく「そういうもの」だと理解した気になっていた。
典型的な思考停止だ。
ある日、SNSでこんな言葉を見た。
「犬は悪魔的だから殺していいらしい」
「強姦や強盗も許される宗教なんでしょ?」
本当にそうなのか。
疑問に思って調べてみると、本来の教えはむしろ逆だった。
命の尊重。
弱者を守ること。
節度。
内面との闘い。
少なくとも、暴力や無秩序を肯定する思想ではなかった。
ではなぜ、ここまでイメージが歪むのか。
答えは単純だ。
一部の過激な行為が、全体の正体として拡散されるからだ。
複雑な背景は省略される。
政治や貧困や歴史は切り落とされる。
過激な映像だけが残る。
そしていつの間にか、
「一部の暴力」=「宗教そのもの」
という構図が完成する。
でもそれは、イスラム教に限った話ではない。
どの宗教でも、どの思想でも、どの国でも起きている。
理念は抽象的で静かだ。
暴力は具体的で派手だ。
派手なほうが広がる。
正直に言えば、私の中の偏見が完全に消えたわけではない。
長年刷り込まれたイメージは、簡単には消えない。
でも一つだけ、はっきりしている。
「怖い」という感情で止まるのは楽だということだ。
怖い。
分からない。
だから距離を置く。
それは安全だ。
でも理解には一歩も近づかない。
感情は速い。
理解は遅い。
そして私は、速いほうを選び続けてきた。
イスラム教徒に限らず、この世は歪みすぎている。
情報は切り取られ、
正義は商品化され、
本物は埋もれ、
怒りが分断を生む。
誰かを単純な悪に仕立て上げる構図は、あまりにも分かりやすい。
でもその分かりやすさに乗った瞬間、
私は自分の思考を手放している。
決めつけは、考えなくていい。
だから速い。
でも速さの先にあるのは、理解ではなく、分断だ。
私は聖人ではない。
これからも偏見は生まれるだろう。
感情が揺れた瞬間、思考は簡単に止まる。
それでも、せめて立ち止まりたい。
それは本当に全体なのか。
それは誰の解釈なのか。
私は何を根拠にそう思っているのか。
その問いだけは、捨てたくない。
歪みは世界にある。
でも、思考まで歪ませたくない。
Nemesis - ASTRA -
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