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責任において…

人は、失敗する。

見落とすこともあれば、勘違いすることもある。
確認が足りなかったり、判断を誤ったりすることもある。

それ自体は、誰にでもあることだと思う。

問題は、そのあとだ。

自分が読まなかった。
自分が確認しなかった。
自分が勘違いした。

それなのに、

「分かりづらかった」
「普通はこう思う」
「そんなつもりではなかった」

そうやって、自分の落ち度を認める前に、原因を外へ求めてしまう。

私は、失敗そのものよりも、こちらの方が厄介だと思っている。

失敗したとき、

「自分にも落ち度があった」

そう認めることができれば、多くのことはそこで終わる。

けれど、自分を守るために責任を外へ押し出せば、本来なら小さな失敗だったものが、他者とのトラブルへと変わっていく。

仕事でも、人間関係でも、日常のあらゆる場面でも同じだ。

立場や状況が変わっても、自分の行動に対する責任までなくなるわけではない。

ただし、何でも「自己責任」で片づければいいとも思わない。

説明すべきことを説明しなかったなら、それは説明しなかった側の責任だ。

自分に落ち度があったからといって、相手の問題まで引き受ける必要はない。

逆も同じだ。

相手に問題があったからといって、自分の落ち度まで消えるわけではない。

大切なのは、どちらか一方を悪者にして終わらせることではなく、

自分の責任と、相手の責任を分けて考えること。

自分に落ち度があるなら認める。
相手に問題があるなら、それは相手の問題として指摘する。

責任とは、すべてを背負うことではない。
まして、誰かにすべてを背負わせることでもない。

自分がしたことについて、自分の分を引き受けることだと思う。

間違えたなら、間違えたと認める。
確認しなかったなら、確認しなかったと認める。
自分で選んだなら、その選択から目を逸らさない。

人は失敗する。

だから私は、失敗したという事実だけで、その人を判断したくはない。

見るのは、そのあとだ。

認めるのか。
向き合うのか。
それとも、誰かのせいにして逃げるのか。

失敗そのものよりも、失敗したあとにどう振る舞うか。

そこに、その人の責任に対する姿勢が現れる。

責任とは、失敗しないことではない。

失敗したあと、自分の側にあるものから目を逸らさないことだ。


Nemesis - ASTRA -


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