都合のいい優しさは、優しさじゃない
優しい人が損をする。
そんな言葉を、よく聞く。
でも正直に言うと、
それは少し違う。
損をしているのは
優しい人ではなく、「都合のいい優しさ」を持っている人だ。
この二つは、似ているようでまったく違う。
優しさには「境界線」がある
本当に優しい人は、
必要なときに手を差し伸べる。
でも同時に、
踏み越えてはいけない境界線を持っている。
・それはあなたの責任だ
・それは自分でやるべきことだ
・それ以上は踏み込めない
こういう言葉を、ちゃんと言える。
一見すると冷たく見えるかもしれない。
だけど、これは冷たさではない。
秩序だ。
人と人の関係は、
この秩序がないと崩れる。
都合のいい優しさは、ただの資源になる
一方で、都合のいい優しさは違う。
頼まれれば断れない。
嫌でも笑ってしまう。
本当は納得していないのに受け入れてしまう。
その結果どうなるか。
相手は学習する。
この人なら大丈夫
この人なら怒らない
この人なら引き受けてくれる
つまり、
「使える人」になる。
これは残酷な話だけど、
人間は基本的に合理的だ。
使えるものは使う。
優しさと自己犠牲は別物
都合のいい優しさの正体は、
実は優しさではない。
自己犠牲だ。
しかも厄介なのは、
本人がそれを「優しさ」だと思っていること。
・相手を傷つけたくない
・嫌われたくない
・空気を悪くしたくない
その気持ちは理解できる。
でも、その結果
自分が疲れる
自分が消耗する
自分の時間が削られる
それなら、それはもう
優しさではなく自己破壊に近い。
本当に優しい人は、切る
ここが一番誤解されているところだと思う。
本当に優しい人は、
必要なら関係を切る。
理由は単純。
不健全な関係は
誰も幸せにしないから。
依存も、搾取も、
続けば続くほど歪む。
だから途中で止める。
距離を置く。
線を引く。
必要なら静かに離れる。
それは冷酷ではない。
責任ある行動だ。
優しさは「選ぶ力」
優しさとは、
誰にでも向けるものじゃない。
誰を助けるのか
どこまで関わるのか
どこで線を引くのか
それを判断する力がある人だけが、
本当に優しくなれる。
だから私は思う。
優しさとは
ただ与えることじゃない。
選ぶことだ。
Nemesis - ASTRA -
前回のテーマ:「皮肉で残酷な世界」
