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LIRE CINÉMA #01『オズの魔法使い』の善悪は、なぜ180度反転したのか。― 『ウィキッド』が問いかける「物語」の力


はじめに

前作を観終えたあとから、ずっと心に引っかかっている違和感があります。

それは、『ウィキッド』という作品が、『オズの魔法使い』という物語の見え方そのものを180度変えてしまう作品であるということです。

2026年3月6日に公開された『ウィキッド 永遠の約束』を観て、その違和感はさらに強くなりました。

『ウィキッド』は、「悪役にも事情があった」という物語ではありません。

もっと根本的に、

私たちは、誰が語った物語を信じて、「善」と「悪」を決めているのだろう。

その問いを、観客へ静かに投げかける作品だったのだと思います。


『オズの魔法使い』における善悪

小さい頃の私は、とにかくおとぎ話が大好きな子どもでした。

家にある絵本は何度も繰り返し読み返し、『オズの魔法使い』もその中の一冊でした。

『ウィキッド』前編の冒頭に登場する仕掛け絵本を見た瞬間、その仕掛け部分が壊れるほど夢中になってページをめくっていた幼い頃の記憶が、一気によみがえります。

日本で育った私ですら、これほど鮮明な記憶が残っている。

それだけ『オズの魔法使い』という作品は、世界中で読み継がれ、愛され続けてきた物語なのだと思います。

そして、その物語の中で描かれる善悪は、とても分かりやすいものでした。

異国へ迷い込んだ少女ドロシー。

旅の途中で出会う仲間たち。

偉大なるオズの魔法使い。

そして、倒すべき存在として描かれる「西の悪い魔女」。

子どもの頃の私はもちろん、大人になってからも、その構図を疑うことはありませんでした。

悪役は悪役であり、正義は正義である。

物語とは、そういうものなのだと思っていたからです。


『ウィキッド』における善悪

ところが、『ウィキッド』は、その前提を静かに崩していきます。

私たちが長年「悪」だと信じてきた西の魔女、エルファバ。

彼女は、本当に悪人だったのでしょうか。

物語が進むにつれて見えてくるのは、これまでとはまったく違う世界です。

権力に従わず、自らが正しいと思う行動を選び続けたエルファバ。

その姿は、「悪」というよりも、むしろ信念を貫こうとする一人の人間として描かれていきます。

一方で、私たちが「善」の象徴だと思っていたオズの魔法使いは、権力を維持するためにエルファバを排除しようとする存在として現れます。

つまり、『ウィキッド』では、

『オズの魔法使い』で信じていた善悪の構図が、そっくりそのまま反転してしまうのです。

簡単に比較すると、

『オズの魔法使い』

  • 善の象徴=オズ

  • 悪の象徴=西の魔女

『ウィキッド』

  • 善の象徴=エルファバ

  • 悪の象徴=オズ

もちろん、ここで単純に「実はオズが悪人だった」という話をしたいわけではありません。

私が面白いと思ったのは、そこではないのです。

同じ世界を描いているにもかかわらず、

視点が変わっただけで、善悪は簡単に反転してしまう。

この事実そのものに、私は強く惹かれました。

『ウィキッド』が覆したのは、『オズの魔法使い』のストーリーではありません。

善悪という前提そのものだったのです。


『オズの魔法使い』という物語の出発点

ここで、一度原点へ立ち返ってみたいと思います。

『オズの魔法使い』を書いたライマン・フランク・ボームは、作品の序文の中で、それまで主流だった教訓的なおとぎ話とは違う作品を書きたい、と語っています。

The old-fashioned fairy tale... having served its purpose, may now be classed as "historical" in the children's library.

The Wonderful Wizard of Oz  -L. Frank Baum

ボームが目指したのは、「教訓」を伝える物語ではありませんでした。

子どもたちが純粋に想像力を楽しめる、新しいファンタジーを書くこと。

それが『オズの魔法使い』という作品の出発点だったのです。

もっとも、ボーム自身は1890年代に政治活動へ関わっていた人物でもあり、その思想や当時の社会情勢との関連性については、長年さまざまな研究や解釈が行われてきました。

しかし興味深いのは、『オズの魔法使い』がそうした数え切れないほどの再解釈を受けながらも、最終的には「世界中で愛される児童文学」という地位を確立したことです。

だからこそ、この物語は100年以上経った今でも、新しい視点から読み直され続けています。

そして、その流れの中から生まれた作品こそが、『ウィキッド』なのです。


『ウィキッド』は、本当に前日譚なのか。

『ウィキッド』は、『オズの魔法使い』の前日譚として紹介されることが少なくありません。

もちろん、時間軸だけを見れば、それは間違いではありません。

けれど私は、この作品を「前日譚」と呼ぶだけでは少し物足りないように感じています。

『オズの魔法使い』が刊行されたのは1900年。

それから95年後の1995年、グレゴリー・マグワイアによって『ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語』が出版されました。

さらにその小説を原作として、ウィニー・ホルツマンが脚本を手がけ、スティーヴン・シュワルツが作詞・作曲を担当したミュージカル版『ウィキッド』が誕生します。

つまり、『ウィキッド』はボーム自身が書いた続編ではありません。

第三者が、『オズの魔法使い』という世界的名作をもう一度読み直し、新たな視点から再構築した作品なのです。

だから私は、『ウィキッド』は前日譚というよりも、

『オズの魔法使い』という物語そのものを読み直した作品なのだと思っています。

同じ出来事でも、誰の視点から語るかによって、物語はまったく違うものになる。

そのことを、『ウィキッド』は作品そのものを使って証明してみせました。

悪役は、どのように作られるのか。

『ウィキッド』を観ていると、もう一つ重なった作品があります。

クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』です。

作中、ジョーカーは、正義の象徴であるバットマンに向かってこう言います。

You complete me.
-お前がいるから、俺がいるんだよ。

The Dark Knight ‐Sir Christopher Nolan

初めて観たときは、挑発的な台詞だとしか思っていませんでした。

でも今改めて考えると、この一言は『ウィキッド』にも通じる、とても本質的な言葉だったように思います。

悪は、善がいるから成立する。

秩序を守る存在が現れることで、その対極としての混沌も生まれる。

つまり、善と悪は対立しているようでいて、お互いを成立させる存在でもあるのです。

ジョーカーは、バットマンという「正義」の存在を、自分を成立させるために必要としている。

善と悪は対立しながら、ときに互いを定義し合う。
その点で、『ダークナイト』と『ウィキッド』には重なる構造があります。

オズという権力者は、自らの秩序を維持するために「悪」を必要とした。

そして、その役割を押し付けられたのがエルファバでした。

ここで重要なのは、

エルファバが悪だったから悪役になったのではない。

悪役として語られたから、悪役になった。

ということです。

『ウィキッド』は、この順番を私たちに見せてくれます。


善悪は、誰が決めるのか。


この構造を見ていると、学生時代のゼミを思い出します。

教授は、授業の中で何度もこんな話をしていました。

「善か悪かで物事を判断する二元論的思考から、一度抜け出してみよう。」

当時の私は、その言葉を完全には理解できていませんでした。

善いことは善い。

悪いことは悪い。

そんな単純な話ではない、ということだけは何となく分かっていたものの、その先に何があるのかまでは考えられていなかったのです。

でも、『ウィキッド』を観終えた今、その言葉がようやく一本につながった気がしました。

善悪は、絶対的なものではない。

誰が語るのか。

どんな立場から見るのか。

その枠組みごと変われば、善悪はいとも簡単に反転してしまう。

『ウィキッド』は、そのことを物語そのものを使って証明してみせた作品なのだと思います。


ルネ・ジラールの「スケープゴート」

この構造は、フランスの思想家ルネ・ジラールが『暴力と聖なるもの』などで論じた、スケープゴートのメカニズムとも重なります。

ジラールは1972年の著書『暴力と聖なるもの』の中で、共同体は混乱したとき、一人の対象へ暴力を集中させることで秩序を回復しようとする、と述べています。

つまり、社会は「共通の敵」を作ることで、一時的な安心を手に入れる。

誰か一人を悪役として位置づけることで、共同体はまとまりを取り戻す。

この構造は、歴史の中で何度も繰り返されてきました。

そして、『ウィキッド』でもまったく同じことが起きています。

オズという権力者は、自らの立場を守るために、エルファバという存在を「危険な魔女」として語ります。

民衆は、その物語を信じる。

やがて、「西の悪い魔女」というイメージは社会全体へ浸透していきます。

ここで恐ろしいのは、

エルファバが悪だったから、人々が悪だと思ったのではないということです。

「悪だ」と語られ続けたから、悪になっていった。

私は、この順番がとても重要なのだと思います。


『ウィキッド』は、ファンタジーでは終わらない。

ここまで考えていくと、『ウィキッド』は単なるファンタジーではなくなります。

魔法も。

歌も。

エメラルドシティも。

そのすべては魅力的です。

でも、この作品が本当に描いているのは、人間社会そのものではないでしょうか。

私たちは、誰かを悪役にすることで安心していないか。

物語を疑うことなく受け入れていないか。

『ウィキッド』は、エルファバの人生を描いた作品であると同時に、

私たち自身が、どのように「悪」を作り出しているのか。

その構造を映し出す作品なのだと感じています。


「プロパガンダ」は、物語の中だけの話ではない。

『ウィキッド』を観終えたあと、もう一つ頭に浮かんだものがあります。

それは、「プロパガンダ」という言葉です。

現在ではネガティブな意味で使われることが多いこの言葉ですが、本来の語源はラテン語のpropagare、「広める」という意味を持つ言葉でした。

17世紀、カトリック教会が教えを広めるために設立した
「布教聖省(Congregatio de Propaganda Fide)」が語源であり、元々は思想そのものに善悪はありませんでした。

問題は、

何を広めるのか。

そして、

誰が広めるのか。

ということです。

現在一般的に用いられるプロパガンダとは、

特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ導こうとする宣伝活動

『三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺』より

を指します。

ここで『ウィキッド』を思い返してみると、

オズという権力者は、

民衆へ向けて、

「エルファバは危険な存在だ」

という物語を語り続けます。

そして、人々はその物語を信じる。

やがて「西の悪い魔女」というイメージは、社会全体の共通認識になっていきます。

私は、この流れがとても恐ろしいと思いました。

恐ろしいのは、悪人が存在することではありません。

悪という概念が、一つの物語として社会へ定着してしまうこと。

その瞬間こそが、一番恐ろしいのではないでしょうか。


『ウィキッド』は、現代を描いている。

映画館を出たあと、最近読んだあるインタビューを思い出しました。

作家の津村記久子さんは、こんな言葉を残しています。

「面白いことを追うことが自分の幸せとか、多少なりとも賢くなることに繋がってることを信じている。だから、ここ一年ぐらいの政治の流れの、安っぽいデマをすぐ信じたり、ありもしない問題をでっちあげて不安を煽られて、その衝動のまま行動するとかっていう生き方が信じられないんですよ。」

津村記久子『ふつうの人が小説家として生きていくには』より

この言葉を読んだとき、私は強く共感を覚えました。

『ウィキッド』で描かれている世界と、あまりにも重なって見えたからです。

自分の中に核となる価値観を持たないまま、

目の前に流れてくる情報だけを信じる。

誰かが作った物語を、そのまま真実として受け入れる。

そして、悪を作り上げ、攻撃する。

そんな構造は、決して映画の中だけの話ではありません。

SNSでも。

ニュースでも。

政治でも。

私たちは毎日のように、「誰かが語った物語」を見ています。

だからこそ、『ウィキッド』は100年以上前の物語を描きながら、現代社会そのものを映している作品なのだと思いました。


さいごに

『ウィキッド』という作品を観ていない方にも、観ている方にも、お伝えしたいことがあります。

それは、

物語は、簡単に書き換えられてしまう。

ということです。

歴史も。

映画も。

ニュースも。

SNSも。

そこには必ず「語り手」がいます。

私たちは、その語りを通して世界を理解しています。

だからこそ、本当に大切なのは、

「善か悪か」をすぐに判断することではありません。

誰が、この物語を書いたのか。

なぜ、その物語が語られているのか。

そう問い続ける姿勢なのだと思います。

『ウィキッド』は、ミュージカル映画としても本当に素晴らしい作品です。

シンシア・エリヴォとアリアナ・グランデの圧倒的な歌唱。

美しい美術。

劇場でしか味わえない没入感。

それだけでも十分に観る価値があります。

でも私は、この作品の一番の魅力はそこではないと思っています。

『ウィキッド』は、

「西の悪い魔女」の物語を書き換えた映画ではありません。

私たち自身の、

「正義とは何か。」

「悪とは何か。」

その見方を書き換える映画です。

だから私は、きっと何度もこの作品を観るでしょう。

そして観るたびに、

また違う「善」と「悪」が見えてくるのだと思います。


LIRE

読むとは、
本を読むことではない。
世界を読むことだ。

あなたは、この物語をどう読みましたか。


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