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LIRE #01『教養』は人生の嗜好品だ。― 世界を読むために、私が「教養」を書く理由

はじめに(ハン・ガンさんの作品との出会い)


人生には、ときどき世界の見え方を変えてしまう一冊があります。

私にとって、それがハン・ガンさんの『すべての白いものたち』でした。

ページをめくる手が止まらず、一気に読み終えたあと、後頭部を殴られたような衝撃を受けました。

「ことば」は、ここまで人の心を動かせるのか。

選ばれた一つひとつの言葉。
人物の繊細な心理描写。
静かなのに、どこまでも深く届く文章。

読み終えたあとも、その余韻は長く残り続けました。

私は映画が好きで、本も好きです。

これまでたくさんの作品に触れ、人と出会い、異なる価値観に触れてきました。

そしてこの本を読み終えたとき、一つの問いが頭に浮かびました。

「教養とは、一体何なのだろう。」


「教養」とはなにか。



「教養」という言葉には、たくさんの定義があります。

知識量。

学歴。

読書量。

語学力。

どれも間違いではありません。

でも、私にとって教養とは、それらを指す言葉ではありません。

私は、教養とは

世界を一つの答えで終わらせないための材料

だと思っています。

目の前の出来事を見たとき。

映画を観たとき。

誰かと話したとき。

「なぜそうなったのか。」

「他の見方はないのか。」

そう問い続けるための参照先。

それが、教養です。

教養とは、世界を広く知ることではない。

世界を、何通りにも読めるようになることだ。

偏りこそ個性


以前の私は、「幅広く知識を持つこと」が教養だと思っていました。

でも最近は少し考え方が変わりました。

偏りがあってもいい。

映画ばかり観る人がいてもいい。

虫のことだけを何十年も研究している人がいてもいい。

コーヒーをひたすら追求している人がいてもいい。

韓国アイドルの歴史なら何時間でも語れる人がいてもいい。

その偏りは、その人だけが持つ世界の見方になる。

だから私は、いろいろなものに興味を持ちながらも、「これだけは誰にも負けないくらい好きだ」と思えるものを大切にしたいと思うようになりました。

違うものを好きな人同士が出会い、お互いの世界を広げ合う。

私は、それが社会の豊かさなのだと思っています。

「教養本」が教養を遠ざけることもある。


一方で、最近少し気になることがあります。

「教養を身につける方法」

「頭が良くなる〇〇」

「一流になるための教養」

そんな言葉を目にする機会が、とても増えました。

もちろん、それ自体を否定したいわけではありません。

ただ、教養を「身につけること」自体が目的になった瞬間、
教養はただのチェックリストになってしまう。

でも私は、「教養」は目的ではなく、結果として積み重なるものだと思っています。

たまたま読んだ一冊の本。

偶然観た映画。

旅行先で出会った人。

学生時代に学んだ外国語。

そんな偶然の積み重ねが、いつか別の出来事を理解するための土台になる。

だから教養は、「身につけよう」として手に入るものというよりも、夢中になった時間の積み重ねなのではないでしょうか。


好きなものは、遠回りして人生を豊かにする。


私自身、学生時代からフランス語を学び続けています。

社会人になってからも勉強を続けていますが、何度もこんなことを聞かれました。

「仕事で使わないのに、なんで勉強しているんですか?」

「出版社や映画業界に転職するんですか?」

そのたびに、うまく答えられませんでした。

でも今なら自信を持って答えられます。

好きだからです。

それ以上の理由はありません。

でも、その「好き」が、
少しずつ私の世界を広げ、
今の私の世界の見方をつくってくれました。

フランス語を学んだ経験は、映画を見る視点にも、文学を読む視点にも、人と向き合う視点にもつながっています。

役に立つからではなく、人生を豊かにしてくれるから続けています。

「教養」は人生の嗜好品だ。

私は、「教養」は人生に必要不可欠なものではないと思っています。

なくても生きてはいける。

でも、人生を豊かにしてくれる。

だから私は、教養とは人生の嗜好品だと思っています。

音楽を聴くこと。

本を読むこと。

映画を観ること。

美しいものに心を動かされること。

誰かの考えに触れること。

そんな時間が、人間らしさを育てているのではないでしょうか。

「嗜む映画」が、少しずつ居場所を失っている。

そして今、私はもう一つの危機感を抱いています。

それは、「嗜む映画」が少しずつ居場所を失っていることです。

驚きやどんでん返し。

分かりやすい快感。

短時間で消費できる刺激。

もちろん、それらを否定するつもりはありません。

私もそういう作品を楽しみます。

でも映画には、それだけではない価値があります。

映像の美しさに見入る時間。

静かな余韻。

説明されない感情。

映画館を出たあとも、何日も頭から離れない問い。

そんな作品に触れたとき、私は「ああ、生きている」と感じます。

だから私は、
映画を評価したいのではありません。

「面白い」「つまらない」を決めたいわけでもありません。

映画を通して、
世界の見方を増やしたい。

そして、その視点は映画だけに留まりません。

美容も。

マーケティングも。

社会も。

一見違うように見えるそれらは、
私の中ではすべて

「世界を読むこと」

でつながっています。

だから、このnoteでは
映画だけを書く人にはなりません。

一見違うように見えるものの間に、
共通する構造を見つけること。

それが、私にとって「読む」ということです。

これからも、世界を読み続けます。

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