水たまりで恋して
水たまり。
水たまりだらけだ。
市はどうやら、
年末の道路工事のために、
アスファルトをぼこぼこにしたらしい。
おかげで、
白い日差しが融けた、
大小色とりどりの水たまりに、
ぱっと気分もときめくのだけど。
私は夏服のリボンを整え、
門扉を丁寧に閉めてから歩き出した。
はっ……として、
急いで門扉を開き、
再び玄関のドアへ戻る。
「戸締り、よし」
もう一度丁寧に門扉を閉める。
ようやく道へ出た。
強烈な熱波を予感させる日差しだったが、
今はまだ手加減されていた。
しっとりとした、夏の香り。
――
通学時間はたっぷり確保したから、
とてとてふらふら。
のんびり登校。
真っ白と真っ青のコントラストを、
チルトシフトに映した水たまりたちを、
ぴょんぴょこと飛び越える。
これが来年大学受験を控えた、
お姉さんの所業かと問われれば、
大変残念ですが……と答えるほかない。
だって楽しいのだ。
「あら、ひとみちゃんおはよう」
「はよーございます!」
家から三軒お隣の川路のおばあちゃんが、
ほうきを担いで、玄関から出てきた。
「今日も早いのねぇ?」
「私時間をたっぷり用意しないと、
遅刻しちゃうので」
「偉いわねぇ、気をつけていってらっしゃい」
「はーい!」
比喩でもなければ、冗談などもってのほかで。
本当に、十分な余裕が必要なのだ。
自分自身、十分も経っていないつもりで、
気が付くと、
平気で一時間くらい経ってたりするのだ。
そのくせ、
陸上短距離の元エースとかいう、矛盾した存在。
なんで元なの?と言われれば、
ちょっとだけ、やりすぎてしまったのだ。
速く走る以外、取柄なんてないのにねぇ?
それで、
お散歩気分で公園の脇まで来たら、
すっごく大きくて、
飛び越えられない水たまり。
公園の前から、公園の中まで、池みたい。
青と白に染まっててすごく幻想的!
あれ、あれだよ、ちょっと待ってね……
う、うるに、ウルニ塩湖?
(※ボリビア・ウユニ塩湖)
きらきらきれいですごく良いのだけども、
通れないじゃん。
とりあえず、にじにじと近づいて、
水たまりの空を覗き込んだ。
――刹那、ドキッとして……花が舞った。
大きなグレーの瞳だった。
水たまりの中から、私と同じように。
黒髪の美男子が、こちらを見ていた。
私、ほんと馬鹿だから、
驚く前に手を伸ばしたら。
バランス崩して、とぷんって。
水たまりの中へ入っちゃった。
あ、学校……遅刻確定だろうか?
――
ざぱぁって、
水たまりの底から落ちたら、
天地が逆さま。
仰向けに水たまりから飛び出した。
空がすっごく近くて。
白い雲が掴めちゃいそう。
くるっと身体を回して、
原っぱに着地。
運動神経だけは無駄に良い。
よっ、と起き上がったら、
彼がいた。
ほんのちょっぴり長い黒髪を靡かせて、
あっけにとられている。
そりゃそうだよね?
私もあっけにとられてるもん。
……キレイな瞳。
同い年くらいかな?
クール系男子だけども、
こうして対面するとあどけなさも……
「クィス・エス、トゥー ?」
……
……キレイな瞳。
「クィス!エス!トゥー !?」
……
あんだって?
「日本語で、お願い、します?」
「クィド・ディーキス? クィド?」
フフフッ。
遠い目で周囲を見回してみた。
一面、緑の美しい草原で、
ところどころ、大きな水たまりがある。
私の街と同じく、広い空が水面に揺蕩う。
やわらかな風が吹いていて、
なんだか、
ものすごく高いところのような気もする。
吸い込む酸素が、
いつか家族旅行で行ったなんとか高地に似ていた。
とても心地の良い場所だけども、
そろそろ現実に向き合わないと……
「クィス!エス!トゥー !?」
「リングァム・メアム・ノーン・インテッレギス? クィド? 」
うぅ……
ちょっとピリピリモードみたい。
「マイ・ネーム・イズ!ヒトミ・アマノ!」
これならどうだ!?
合衆国で通じる言語だぞ!?
――ヒュンって、
後ろからなにかが私の髪をかすめた。
は?って振り返ると同時に、
ふわっと身体が浮いて……
彼が私を抱きかかえていた。
姫抱っこのまま、ダッシュで運ばれる。
「え?あ?は?」
理解超越のまま目をぱちくり。
すると再び、ヒュンって。
矢のようなものが、すぐそばをかすめる。
次々と飛んできた。
てか、私、昨夜計ったとき、
何キログラムだったろうか?
……彼、線は細いのに、意外とムキムキだよね?
……ドキドキしちゃう。
そんなことに現を抜かしていたら、
だんだんと城が見えてきて、
草原に建つすごく立派な城。
でも、なんか、小っさくない???
んー、デザインは、
東京ネズミーランドのツンデレラ城みたいだけど、
大きさが、その辺の雑居ビルくらい?
で、
その城からなんかわらわら出てきた。
……ねずみ、か?
身長1メートル無いくらいの、
二足歩行のねずみたちが、
甲冑に身を包み、剣で武装している。
「インペテ! フェーレム・エクスペッレ! 」
彼が大声で叫ぶと、
一斉にねずみたちがこちらへ突進してきた。
振り返ると、その先――私たちの後ろに、
同じように武装した、猫たちが迫っていた。
すごく、悪そうな顔をしている。
私は城の入り口で降ろされて、
たぶん、中に入るように言われた。
彼は、ネズミから剣を受け取ると、
再び草原に走っていってしまう。
「ウェイト! ドント・ゴー! 」
アニメのヒロインっぽく叫んでみたが、
通じただろうか?
今度は、制服のスカートを引っ張られた。
一匹のネズミが、
何か言いたそうにこちらを見上げていた。
「なぁに?」
私が犬猫に話しかける風に聞くと、
すごい剣幕で、木製のお椀を突き出してくる。
お、怒るなよぉ?
お椀には、
とろっとした赤いスープと、
木製のスプーンが入っていた。
既視感のある真っ赤な見た目、
ほのかな酸味を含んだ香り……
ミネストローネ……にしてはとろとろしている、
まあ、トマトのスープには違いなさそうだ。
……食べろということなのだろうか?
食べても大丈夫だろうか?
朝食を食べたばかりで、
カロリーや糖質が気になる……
頑なにお椀を突き出すねずみを前に、
恐る恐る、ひとくち。
「あっつ!?」
舌を火傷した。
味は……うん、まあ、おいしいおいしい。
ほどよい塩気と、まるくなったトマトの酸味。
やさしい味だね。
「バカが、ちゃんと冷まして口に入れやがれ」
「すんまそ」
「陛下ならすぐに猫共を蹴散らしてくる、
でも矢とか危ねーからよ?
メスは城の中でおとなしくしとけ?」
「あぁ?うら若きJKを捕まえて、
メスとか言うなし!失礼だよ……ん?」
「あ?じぇーけー?なんだそりゃ?」
「ね……ねずみ喋ってやがる……!?」
「あぁ?悪ぃかよ?」
「てか、なんで言葉通じるの???」
「普通、通じるだろぉがよ」
「え?え?だって……
さっきまで意味不明言語で意味不明」
「てめぇがここの食い物食ってねぇからだろう?」
は?同じ物食べると言葉通じるの?
私、バーガーズキングスよく食べるのに、
英語のテスト、40点だったんだが……!
と、こんなやりとりしてたら、
彼と他のねずみたちが帰ってきた。
「陛下!猫共は!?」
「追い払ったが、恐らく威力偵察だ。
今夜攻め込むつもりかもしれない」
「すぐに軍議を開き、先手を打ちましょう!」
「ああ、そのつもりだよ」
「して、陛下、こちらのメスは……?」
注目が一気に集まる。
ど、どうしよう。
な、なんて説明したらいいんだ?
水たまりに落ちて、そしたらここにいました?
あ、それより名乗るか?
まてまて、日本人名で怪しまれないか?
あ、シータかクララって名乗ろうか?
ぎ、偽名はよくないか?
んあ?どうすんべ?
「……彼女は、遠い国から逃げ延びた姫君だ。
名は、まだ聞いていない。丁重にもてなせ」
「……」
助けてくれた。
さりげなく。
「姫君の母国もやはり猫共が!?」
「俺にもわからん、
まずは今夜のための軍議だ」
数匹のねずみたちと話しながら、
彼はすたすたと行ってしまう。
「あ、あの」
「スープを持ってきたねずみはゴランという名だ。彼にわけを話せ、あとで会おう」
行っちゃった……
「やれやれ、どこぞのお姫さんとはね、
世間知らずここに極まれりか?
よぉ!とりあえず城ん中入ろうや?」
「……」
異国の姫君相手に、
なんと失礼なねずみであろうか?
ま、一介の女子高生じゃしかたないか。
――
城の中はひんやりしていた。
石造りの立派なもので、
暖炉には赤々と火が灯っている。
エントランスも、階段も、廊下も、
どこも美しい織の絨毯が敷かれ、
高そうな調度品が置かれている。
しかし、
そのなにもかもが、
私たち人間から見ると小ぶりなサイズだった。
本とか、巻物?
巻物だと思う。
大事そうに抱えたねずみたちが、
忙しなく行き来している。
狭い階段や、
頭のつっかえそうなところを幾つか通り、
上層階の部屋へ案内された。
完全におとぎ話の寝室に、
少しだけテンションが上がる。
しかしここで寝るとしたら、少々つらい。
人間が眠るには、
少しばかりベッドが小さすぎる。
ゴランと部屋で話していたら、
彼がやって来た。
「俺はネズミの国の王、ノクス。
こいつらとこの高地を守っている」
ちょっと、ドキッとしちゃう。
……ねずみの国ってなんすか?
え?ウォルトネズミー?
「わ、私は天野ひとみです。
水たまりに落っこちてここへ来ました。
さっきは、その、助けてくれてありがと」
ありのまま話したけど、
水たまりとか絶対信じなさそう。
「あの水面が映す世界だな?」
「え!?」
「俺はあの不思議な世界へ行けないかと、
水たまりを探っていたんだ」
そーなん?
ん?するってーと……
「そしたらお前も、
向こうからこちらを覗き込んでて」
「え!?じゃあお互い見えてたの!?
やだ!めっちゃ恥ずいやん!?」
わー恥ずい、いたたまれぬ。
「お世話になりました。
恥ずかしいので帰ります。
学校、あ、いえ、用事もあるので」
「構わないが、どのように帰るんだ?」
「え?水たまりにドボンと……」
「何度か試したが、入水しても、
あの不思議な世界へは行けなかったぞ?」
は?
遅刻どころか……
もしや夕飯に間に合わない可能性?
「とにかく今夜は猫共と戦闘になる、
危険だからここに留まれ」
は?
夕飯に遅刻どころか、
まさかの無断外泊の恐れ???
だ、ダメ元でスマホを取り出す。
普通に圏外。
ぐるんぐるん思いがフル回転した。
リュックの中身は、
教科書、筆記具、ポケティと頭痛薬と……
せ、生理用品がねぇ、化粧ポーチも。
着の身着のままで、
イケメン&ねずみと外泊!?
ひぃぃぃぃ!?
こうして、
私の不思議な大冒険の幕が上がった。
これは、ねずみの国に伝わる英雄譚で。
私の、初恋のはじまり……

