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「作品を書こう」を捨てたら、一年半ぶりに脚本書けた

いーち、にー、さん。
3日お休みしちゃったよ!

やばいやばい。書かない3日って秒ですね。書こうと唸ってる時間はあんなに途方もないのにね。書き方忘れてないかな、大丈夫かな。なんかヨタヨタしてるけど、とりあえず行ってみよ!

土日含むこの3日、何してたかっていうと私のもひとつの創作コミュニティである演劇の方にどっぷり浸かってました。お仲間の稽古場にお邪魔したり、脚本書いたり。ほんで、短編脚本が一本仕上がったー!わっしょーい!!

前回脚本書いたのが去年の3月とかだから、まるっと一年半ぐらい書いてなかったんか?こわ。一回期間が開くと、持ち前の完璧主義が顔を出してメキメキにハードルをあげてくるもんで、すごい腰が重くって。

「なんかお話書きたいなあ…」
「書いたらええがな」
「…でもなあ」

のエンドレスリピート。壮大な構想にのまれ、ピクサーの名作産むんかぐらい頭でっかちになって、すっかり沼にハマってた。見かねた私に手を差し伸べてくれたのは、何度かnoteにも登場してるわが相棒。作品をつくろうとするんじゃなくて「ドリルをやろう!」って、宿題を与えてくれた。

15分の短編。登場人物は3人。できたらコメディ。いい感じに書けたら、とある団体さんが使う台本として、お披露目してもらえるかもしれん。ということはすなわち、〆切もある。

ここまでお膳立てされたら、さすがの私もやりまんがな。やるしかないでんがな。世の宿題が軒並み億劫であるように、スタートこそ何も浮かばんくて「やべ〜めんどくせ〜」と身勝手極まりない焦りを募らせていたんだけど、この週末ようやっと形にできて嬉しくてたまらん。昨日書き上げてから、もう15回ぐらい読み返してる。ああ、愛おしい私の作品ちゃん。

ドリルって名付けは、「作品書かなきゃ症候群」に取り憑かれている私には大正解。ドリルってあれね。夏休みの宿題の算数ドリルみたいな。これは楽しくレベルアップするための練習。失敗しても大丈夫。試したいことを試したいだけやってみたらいい。だってこれはドリルだから。ドリルだから。どりるどりるどりる…

って、ゲシュタルト崩壊するぐらいにドリドリ言ってたら、いい感じに力が抜けたみたい。私、思い知った。最初から「作品です!」って審査台にのぼらんくていいんだ(しかも勝手に)。これおもろいんかな〜知らんけど〜って言いながら書けばいいんだ。ドリルから始めたらいいんだよ。渾身の一本、突然の名作。ノンノン。問題100問解いたらちょっとかしこくなるみたいに、100本書いたらきっと名作に近づける。


noteを書いてたからこそ気づいたこともあったよ。普段私が書いてるエッセイや日記みたいなものが「私」の物語だとしたら、創作(フィクション)は「私」をどこかで手放す必要がある気がした。

もちろん、私が書いてるから私の発想や私の中にあるテーマが反映されはするんだけど、ずっと「私」の物語にしていちゃいけないというか。そういえば登場人物って、私ではない「他者」なのよね。別の人生を歩いてきた他人。私が思う通りに動くはずがないし、まったく同じように考えるわけがない。

エッセイを書くことが、自分の内面を考える行為だとしたら、創作は他者について考えること。ずっと自分の手の中だけで操り人形みたく登場人物を動かしているだけだと、自分の枠を超えることができない。どれだけ構造が優れていようと、設定が斬新だろうと、人間がそこにいないと嫌なんだよなあ。とかく「我が」が強い私。どんだけ自分を離れて他者に潜れるか、これからもドリる。

noteでエッセイに出会って、私は自分の話書く方が好きなのかもしれないな〜って思いかけてたけど、創作もやっぱり楽しい。そういやもともと「お話」づくり筋トレに始めたはずのnoteだったんだっけ。プロフィールに書いてたわ。たははー。気づけば自分の物語にばっか夢中になってた。

それはそれで、楽しい誤算だったかな。
エッセイ書いてたから気づくことがあり、創作をやってみたから感じられたこともあり。

私か、私以外か。
どちらにしても、人間が書きたいのはいっしょ。

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