どっちを選んでも後悔する人は、決めた後も比較を続けている。
決めるまでは、かなり悩む。
Aにするか。
Bにするか。
何度も比較して、ようやくAを選ぶ。
これで終わり。
……のはずなのに、
数日後にはまたBを見ている。
「やっぱり、あっちの方がよかったかな」
僕はこれを、ずっと優柔不断だからだと思っていた。
でも、少し違った。
決断は終わっているのに、比較だけ終わらせていなかった。
1. 選ばなかった方だけ、ずっと綺麗なまま残る。
たとえば、Aを選んだとする。
選んだ瞬間から、Aには現実が始まる。
思っていたより面倒だった。
期待していたほど良くなかった。
ちょっと嫌なところも見えてきた。
当然だと思う。
実際に選んだものには、
良いところだけじゃなく、現実が全部ついてくる。
でも、Bは違う。
選ばなかったから、
Bが実際にはどれくらい面倒だったのかは分からない。
嫌な部分も見えない。
失敗する日も来ない。
つまり、しばらくすると僕は、
現実になったAと、想像の中にしか存在しないBを比べ始める。
この比較、最初からAがかなり不利だ。
2. 「Bならうまくいった」は、確認できない。
Aで嫌なことが起きると、
「やっぱりBにしておけばよかった」と思う。
でも、
Bを選んでいた場合の人生は存在しない。
だから、
Bなら本当にうまくいったのか。
Bでも別のことで悩んでいたのか。
それは、もう確認できない。
それなのに頭の中では、
Aで起きた失敗だけは現実として残って、
Bは、
「もしかしたら全部うまくいっていたかもしれない選択肢」
として残り続ける。
考えれば考えるほど、
選ばなかった方だけ条件が良くなっていく。
たぶん僕が後悔していたのは、
選択を間違えたからだけではなかった。
比較相手を、
現実に存在しないほど良いものにしていたからでもあった。
3. 正解を確認しようとすると、決断が永遠に終わらない。
決めた後も比較するのは、
自分の選択が正しかったと確認したいからだと思う。
「あっちより、こっちで正解だった」と思えたら安心する。
だから選んだ後も、もう片方の情報を集める。
でも、ここに結構大きな罠がある。
どんな選択にも、嫌な部分はある。
だから比較を続けていれば、
いつか必ず、
「選ばなかった方が良く見える瞬間」が来る。
そのたびに、決断をもう一度やり直すことになる。
つまり、
選んだ後まで正解を証明しようとすると、
選択に終わりがなくなる。
決めたのに、ずっと決め続けている。
これが、かなり疲れる。
4. 決めた後は、質問を変えた方がいい。
最近は、
選んだ後に「どっちが正解だった?」と考え始めたら、
質問そのものを変えるようにしている。
「AとB、どっちが良かった?」
ではなく、
「Aを選んだ今、ここからどうすれば少し良くなる?」
と考える。
これは、無理やり自分の選択を正当化するという話ではない。
本当に合わなければ、やめてもいいし、選び直してもいい。
ただ、
選ばなかった人生を想像して、
今の選択をずっと採点し続けても、
使える情報はほとんど増えない。
それより、
今ある不満は変えられるのか。
変えられないなら、どこまでなら受け入れられるのか。
そこを見る方が、次の行動にはつながりやすい。
僕はずっと、
後悔しない選択ができれば、迷わなくなると思っていた。
でもたぶん、
どちらを選んでも、
「もう片方だったら」は出てくる。
大事なのは、
一度も後悔しないことではなく、
選ばなかった方を、いつまでも比較対象として保存し続けないこと
なのかもしれない。
選択には、
決める瞬間だけじゃなく、
比較を終わらせる瞬間も必要だった。
正しい方を選べたかどうかより、
選んだあと、いつまで選び直し続けるのか。
僕が本当に決めなければいけなかったのは、
そっちだった。
