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虫眼鏡でのぞいてたら、望遠鏡で見返されてた話

noter観測記、100スキ❤️おめでとう




noteを始めてから、わたしはずっと「観察者」のつもりだった。

虫眼鏡片手にnoteの森をウロウロ。

あの人はなぜ刺さる?
この人はなぜ読まれる?

分析して、分類して、うなずいて──
そして誰にも見つからないまま、森を去る。

「ふふ、これは貴重な標本だな…」
とか言いながら、私のnoteの下書きフォルダには、
“noter分類”なる謎のメモが山のように蓄積されていった。

で、ある日それをnoteに書いたんですよ。

軽くね。自由研究のつもりで。
そしたら──返ってきたの。ガチの論文が。


◆ その日、虫眼鏡が吹き飛んだ

そのnoteを書いてからしばらくして、

Tomo Simpleさんが、
私の“観測記”をもとにした「note分類論」なる記事を投稿してくれた。

リンクを開いた瞬間、目に飛び込んできたのは──

概念図、四象限、分類マップに、めっちゃ丁寧な注釈。

なんか白衣着てる(幻視)、
ポインター持ってる(妄想)、
背景にスライド流れてる(完全に脳内演出)。

で、その分類の土台が、私のnoteの「7分類」だったのよ。

あれ?
観察してたのって、わたしじゃなかったっけ??

ねぇ、いつからわたし、研究対象になってた?
っていうか、わたしのノート、分析されとるううう!

◆ noteって、観察し合ってる場所だったのか

この日、わたしは学んだ。
noteという場所は、「ひとりごとの空間」ではなかった。

つぶやきは届くし、
冗談も本気で拾われるし、
分析されて図解で返ってくるし、

そりゃあもう、
「こっちは虫取り網だったのに!あっちは研究室だったのかよ!」ってなる。

でも、悔しいけど面白かったのよ。

図もきれいだし、視点も鮮やかで、noteってこんな風に読めるんだって

自分のnoteを“他者の目”で初めて見た気がした。

◆ “観察”が“対話”に変わる瞬間

わたしがやってたのは、ただの分類ごっこだったのかもしれない。

相手の全体像なんて見てなかった。

ただ、目立つ部分だけ切り取って、
「あーこれはディグラー系」とか言って、知ったような顔してた。

でもTomoSimpleさんのnoteを読んで、気づかされた。

観察って、
“返される”ことで完成するのかもしれない。

返ってきたnoteには、
わたしが書ききれなかった視点があり、
わたしが見えてなかった線が引かれ、
わたし自身が言語化できてなかったことが言語化されてた。

もう、完全に「やられた」って感じだ。


◆ 虫眼鏡はしまった。代わりに視界が広がった

それ以来、私の観察スタイルは変わった。

虫眼鏡で覗くように、他人のnoteをこっそり観察するのは、今も好きだ。

でも今は、
「この人にもし話しかけられたら、ちゃんと返せるかな?」
ってことを、少しだけ考えるようになった。

noteは、観察する場所じゃなく、観察し合う場所だった。

ただ覗くんじゃない。
返される覚悟がいる。

でも──それが、面白い。

自分の発した言葉が、誰かの中で育って、返ってくる。

その返答が、
自分を変えてしまうことすらある。


◆ さぁ今日も、わたしは森を歩く

あの論文noteには、こんな一文があら。

「あなたのメイン特性は、どのタイプでしょうか?」

観察者でもあり、対話者でもあり、
書き手でもあり、読み手でもある。

そんなふうに、noteの森を歩いている。

今日もまた、誰かの言葉を見つけに──
そして、返すために。

さぁ、今度はアナタの番…

「あなたのメイン特性は、どのタイプでしょうか?」


▶ちなみに、返ってきた“論文note”はこちら。


観察から始まって、つながりに変わる。

それでもやっぱり、見たくなっちゃうんだよな。
人のnoteって、面白いから。

日々好日の書斎より──とっぴんぱらりのぷぅ。

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