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内なる波の音



40代のある日、突然聞こえなくなった。

正確に言えば、すべての音が消えたわけではない。代わりに、别の音がやってきた。

補聴器をつけている時は、ジー、と鳴っている。セミの声に似ている。機械が拾い直した世界の音の裏側で、常にこの音が流れている。

補聴器を外すと、今度はザーッ、という音になる。まるで波が引いていくときのような音。静けさが訪れるはずの瞬間に、静けさの代わりにこの音がやってくる。

あれから10年以上が経った。50代後半になった今も、この二つの音は変わらず鳴り続けている。

多くの人にとって、無音は当たり前にあるものなのだと思う。夜、部屋の電気を消して、布団に入って、何も聞こえない瞬間。そういうものが自分にはない。ジーか、ザーッか。どちらかが、いつも鳴っている。

最初のうちは、これを喪失として捉えていた気がする。静寂を失った、と。

でも、10年以上この音と一緒に生きてくると、少し違う捉え方をするようになった。

波の音というのは、本来、遠くにあるものだ。海に行けば聞こえて、離れれば聞こえなくなる。誰かと共有できる音で、指差して「聞こえる?」と確認し合えるものだ。

自分の中で鳴っているザーッは、そういう音ではない。誰とも共有できない。指差すこともできない。ただ自分だけが、常にその中にいる。

これは孤独なことなのだろうか。それとも、誰にも邪魔されない、自分だけの海を持っているということなのだろうか。

今はまだ、どちらとも言い切れずにいる。

ただ、こうして「波の音」というお題を目の前にしたとき、多くの人が思い浮かべるであろう情景としての波の音ではなく、自分の身体の中で鳴り続けている音のことを、まず思い出した。

外の海の音と、内側の海の音。二つは違うものなのか、それとも、根っこでは同じものなのか。

そんなことを、この歳になって、ふと考えている。

#シロクマ文芸部

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