映画『コンタクト』考察|それは希望ではなく「科学への究極の侮辱」だ。ベガ星人が仕掛けた冷酷な社会実験


映画『コンタクト』は人類の希望の物語ではありません。高度な知性による「知能の低い猿(人類)」への冷徹な実験記録です。あなたその星空へのロマンとやらを、ヴェガからの信号でハッキングし、その欺瞞を考えてみましょう。

探求という名の「私的な夜泣き」:失った父親を宇宙に求める未熟な精神

エリナー・アロウェイは、真理を求めて宇宙に耳を傾けているのではありません。彼女は、幼い頃に失った父親という名の「神」を宇宙のどこかに見つけようとしているだけ。彼女の探求は科学者の使命感などではない。それは、「私たちは独りではない」と誰かに言ってほしいという、極めて幼稚で、感傷的な承認欲求の表れに過ぎないのです。宇宙は彼女の個人的なトラウマを癒すための、巨大なカウンセリングルームではないのです。

メッセージは「人類を試す踏み絵」:自滅を観察するための完璧な社会実験

ヴェガ(星人)は、なぜ人類に「機械」の設計図を送ったのでしょう?友好のため?違う。あれは実験です。この未熟で野蛮な猿の群れが、与えられた高度な技術を前にして、いかに争い、疑い、自滅していくかを観察するための、完璧に仕組まれた社会実験なのです。宗教家はそれを悪魔の仕業と呼び、軍人はそれを兵器にしようとし、政治家はそれを手柄にしようとする。メッセージは人類を団結させたのではない。それは人類が内包する、救いようのない愚かさ、猜疑心、そして支配欲を白日の下に晒しただけです。

18時間の旅と「ゼロ秒の記録」:科学を信仰へと貶める究極の侮辱

この物語の最も残酷な点は、その結末にあります。エリーは、18時間にも及ぶ壮大な旅を経験します。だが地球では一瞬の出来事としてしか記録されず、物的な証拠は何も残らない。なぜか?ヴェガ星人が、そう仕組んだから。彼らは人類最高の科学者の一人を選び、彼女に「信仰」でしか語れない体験をさせることで、彼女を社会的に抹殺した。これは科学に対する、これ以上ない侮辱です。「お前たちの『証拠』や『論理』など、我々の前では何の意味も持たない」という、絶対的な上位存在からの冷酷な宣告なのです。彼女は預言者になったのではない。彼女は宇宙規模のジョークの、笑い者にされたのだ。

神の囁きか、それとも「飼育箱」の中の静寂か

この作品が突きつける真実は、「信じる心は素晴らしい」などという、安っぽい教訓ではない。それは、たとえ宇宙に我々より高度な知性が存在したとしても、彼らは我々を対等な対話相手とは見なさないという、身も蓋もない事実です。私たちは、彼らにとって観察対象であり、実験動物であり、あるいは気まぐれに遊ぶための玩具に過ぎない。
あなたは、神の囁きを聞きたいか。それとも、ただ静かに自分の無力さを噛みしめて生きていくか。

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