「いろいろな事業をやってきた僕が、いまは人の相談に乗っている理由」
いま僕は、経営者や、その会社で働く人から話を聞くことを仕事にしています。
何かを代わりにやるわけではありません。
話を聞いて、一緒に整理して、僕が思ったことは伝える。
でも、最後に決めるのはその人です。
最近になって、これが自分には一番合っているのかもしれないと思うようになりました。
振り返ると、20年くらい、いろいろな事業に関わってきました。
現在も、物を売る仕事もしてますし、店舗もやってます。
人に出資したこともあるし、スクールを主催したりもしてます。
ただ、自分ではあまり「何の事業をやってきた人か」という感覚がありません。
どちらかというと、
「何かを立ち上げて、人に渡してきた人」
という方が近い気がします。
僕がそういうやり方をするようになったのは、30代前半の頃でした。
その頃、自分の中でひとつ決めたことがあります。
自分がずっとプレイヤーをやるのは、もうやめよう。
そう思いました。
別に仕事が嫌になったわけではありません。
自分より能力の高い人は、いくらでもいる。
だったら、その人が力を出せる場所をつくる側に回った方が面白いんじゃないか。
そう考えるようになりました。
実際、人に任せるようになると、自分一人でやっていた頃には起きなかったことが起きます。
こちらが思っていた以上に伸びる人もいる。
まったく違う方向に行く人もいる。
頼んだこととは違うことを始める人もいる。
突然辞める人もいる。
逆に、
「そこまでやってくれるんや」
と思うこともある。
だから僕は、人を見るのが好きです。
予定通りにいかないからです。
少し大げさかもしれませんが、映画を見ている感覚に近い。
自分が全部決めて、自分が全部動かして、自分が想像した通りの結果になる。
僕には、それよりも面白いものがあります。
自分が手を離したあと、その人たちが自分では思いつかなかった景色をつくっていくことです。
ただ、ずっと順調だったわけではありません。
むしろ、何度かかなり落ちています。
大きく数えると三回あります。
事業がうまくいかなくなって、お金もなくなって、深夜の派遣バイトに入っていた時期もありました。
昼間はこれからどうするかを考えて、夜になると仕事に行く。
そんな生活をしていました。
その時期に覚えているのは、お金がないことだけではありません。
人です。
調子がいい時には、周りに人がいます。
いろいろな人から連絡が来るし、食事にも誘われる。
こちらから声をかけても、すぐ返事が来る。
ところが状況が変わると、それも変わります。
離れていった人もいました。
逆に、何も変わらなかった人もいました。
僕はそれを、良い悪いで考えているわけではありません。
自分だって、同じことをしてきたかもしれない。
ただ、人との関係というのは、こういう時に見えるんやなと思いました。
それ以来、上がっている時より、下がっている時の人を見るようになった気がします。
僕自身、お金についても考え方がずいぶん変わりました。
若い頃は、もちろん欲しかった。
欲しいものもありました。
実際、一度思いつく範囲で、欲しいと思ったものに、使ってみました。
その結果、自分について分かったことがあります。
僕は、自分を満たすことが、そんなに大金は必要としてないタイプなんやな、と。
もちろん、生活するためのお金は必要です。
事業にも必要です。
でも、数字そのものを増やすことには、それほど興味が続かなかった。
それより嬉しかった出来事があります。
昔、僕が出資して一緒にやっていた会社がありました。
その会社はその後、僕の手を離れて大きくなりました。
ずいぶん時間が経ってから、その会社の社長と食事をする機会がありました。
その際、その人が
「財布は持ってこないでください!おかげさまで今があります!」
と食事代を払ってくれました。
すごく嬉しかった。
金額の話ではありません。
昔はこちらが出していた。
それが何年も経って、今度は向こうが出してくれた。
「ああ、とても嬉しくて、その心が、ありがたいな」
と思いました。
僕にとっては、事業の数字そのものより、こういう瞬間の方が残るみたいです。
もちろん、人に渡せば全部うまくいくわけではありません。
むしろ、うまくいかないことの方が多いかもしれない。
僕も何度も判断を外しています。
良かれと思って言ったことが、相手を追い詰めてしまったこともあります。
「この人のために言っている」
こちらはそう思っていても、相手がそう受け取るとは限りません。
同じ言葉でも、その人が置かれている状況によって意味が変わる。
自分が正しいと思っている時ほど、それが見えなくなることがあります。
これは今でも気をつけています。
だから、誰かから相談を受ける時に、僕がなるべく守ろうとしていることがあります。
その人の人生まで背負わないことです。
冷たく聞こえるかもしれません。
でも僕は、その方が相手に対して誠実なんじゃないかと思っています。
相談されたら、自分が思ったことは言います。
違うと思えば、違うと思うとも言う。
別の選択肢が見えたら、それも話します。
でも、
「だから、こうしてください」
とはなるべく言わない。
僕が制御できないことに、僕が責任を負うことはできないからです。
そして、その人の選択を僕が奪うこともできません。
助言は僕のもの。
選択はその人のもの。
結果もその人のもの。
僕は、そう分けて考えています。
相談を聞いていると、二択になっていることがよくあります。
辞めるか、続けるか。
任せるか、自分でやるか。
言うか、黙るか。
売るか、残すか。
でも僕は、二択しか見えていない時は、まだ問題の置き方が粗いのかもしれないと思っています。
その間に何かないか。
まったく違う場所に三つ目はないか。
僕自身が何度も追い込まれてきたから、そう考えるようになったのかもしれません。
追い込まれている時、人は選択肢を減らします。
僕もそうでした。
だから、答えを出すより、
「本当にその二つしかないんかな」
と一緒に考える方が、僕には合っています。
もうひとつ、相談を受けていて思うことがあります。
人は、自分を責めている時には、なかなか次の行動に移れないということです。
「社長なのにできていない」
「親なのにできていない」
「任せたのに信じられない」
「もっと頑張らないといけない」
そういう状態の人に、正しい方法を渡しても、たぶん入りません。
だから僕は、方法より先に、
「そこまで自分が悪いことなんかな」
と考えることがあります。
できていないことより、すでにできていることを見る。
それだけで、次の話ができることがあります。
僕は「自分よし」という言葉をよく考えます。
自分が整っていないのに、人のために何かをしようとすると、どこかで無理が出る。
余裕がない時は、普通なら気にならない一言に反応してしまう。
良かれと思った助言が強くなる。
相手のためと言いながら、本当は自分の不安を消そうとしている。
僕にもあります。
だから、まず自分が整っているかを見る。
それから人の話を聞く。
その順番は大事なんじゃないかと思っています。
僕は、人を変えられるとは思っていません。
会社についても同じです。
僕ができるのは、見えていることを話して、別の見方があれば渡すところまでです。
そこから先は、その人が決める。
渡したら、手を離す。
最近は、それでいいと思っています。
もし以前どこかで僕と会って、
「あの人、結局何をしている人なんやろ」
と思って、この文章まで来てくれたのであれば、
いまの僕は、こんなことを考えながら人の話を聞いています。
経営の話でもいいし、人の話でもいい。
仕事とは関係のない話になることもあります。
きれいに整理してから話す必要もありません。
むしろ、
「何に困っているのか、自分でもよく分からない」
くらいの時の方が、話せることがあるかもしれません。
僕から答えが出るとは限りません。
話した結果、何も変わらないこともあると思います。
ただ、自分一人で考えていると二択にしか見えなかったものが、話しているうちに三つ目になることはあります。
そのくらいの距離感で、声をかけてもらえればと思っています。
ただし、どこまで人に話すか、何を変えるか、その基準値は人それぞれです。
一人で考えていると、同じところをぐるぐるすることがあります。
そんな時は、まだ話がまとまっていなくても大丈夫です。
誰かに話してみようかなと思った時に、僕のことを思い出してもらえたら。プロフィールの連絡先から声をかけてください。
