養護施設に預けられた私の生き方 〜幼少期虐待の経験〜
初めまして
おはよう、こんにちは、こんばんは
椿です!
今日は私が25年間生きてきた中での体験のお話になります。
前回の記事では、自己紹介〜生まれ育ち、双極性障害を患った事を大まかにまとめました。
今回は、幼少期に私が養護施設へ入所していた頃のお話をしたいと思います💬
⚠虐待ワードが入るため途中から有料とさせて頂きます⚠
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私は2歳の頃、青森県の養護施設へ双子の妹と共に預けられました
当時は、母親が他県へ出稼ぎへ行くため預けた。と聞かされていたのでそれをずっと信じて健気に待っていました。毎年来る、七夕の短冊には、『お母さんと暮らせますように!』と書き、流れ星が流れると手を合わせて
『お母さんに会えますように』とお祈りするくらいでした。今思えば、お母さんっ子だったのかな?と思います笑
施設では、同世代の子供達はもちろん、年上のお姉さんお兄さん、年下の小さい子供たちも沢山いました
洗濯物は小学生までは自分のカゴに入れて洗濯物を畳むお手伝いをして、畳み方を先生達が教えてくださいました。そこの先生達は、お母さんお父さんのような存在で、悪い事をすれば叱ってくれ、いい事をすれば褒めてくれる、しっかりと教育してくれました😊
平日は、みんな同じ小学校へ行き、休みの日はグループにわかれてお出かけをしたり、日米友好クラブの方々との交流やレスラーの方々との交流等、普通の家庭では体験出来ないようなことも沢山できました!
一般家庭のように、みんなで旅行にも行ったんです!
とっても、楽しくて、みんな大好きで、幸せでした。
ですが…
小学5年生の頃、施設の先生のうちの1人が
いつもとは違う行動や言動をするようになりました。
いつも通り、次の日の学校の準備をしていた時の事です
忘れ物はないか?と確認を先生と2人でする決まりになっていました。その時担当していたのは、30代後半〜40代くらいのかなり大柄な眼鏡をかけた男性の先生でした。正直、私も施設の子供たちもみんなその先生の事が嫌いでした。
ですが、我慢していました。
そんな時、担当になってしまい本当に嫌でした。
そして、確認が終わる時になると、その先生が私に言いました。
『 バレンタイン何が欲しい? 』
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