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言葉は自分そのものになる話

言葉を大切に生きるということは、時間をかけて自分の内側を丁寧に耕すこと。

運気が高かったと思う時期。逆に何をやっても上手くいかず下を向いてしまって我慢の時期。その違いは何だったのだろうと思い返してみると「挨拶する」ことが習慣となっていたかそうでないかの差だったように思います。なかでも運気がかなり高い時期は、例外なく自然な笑顔をセットで。

言い訳することは、もったいない気がします。

歳を重ねるにつれて挨拶しなくなった。
昔はもう少し挨拶を気軽にしていたのに。
挨拶しても無視されるし、自分から挨拶することを辞めた。

確かに、職場でもご近所づきあい等においても、悲しいかな、挨拶の立ち位置は変わりつつあるように思います。一概には言えないかもしれませんが、「挨拶する人」と「挨拶しない人」が分かり易くなってきたように私は思います。

無視されることは、誰でも気分の良いものではないですが、それは何も私が原因ではないし、気にしない訓練と思うようにしています。無視するにもワケがあった。おそらく気分が落ち込んでいたのだろう、という具合に日々訓練です。

挨拶をする理由を言うなら、挨拶をすると無条件に気持ちが良い。一日の始まりを前向きな気持ちでスタートできる感覚が得られる。一日を自分のものに出来る感覚が得られるから、でしょうか。

私は、挨拶は相手にしているというより、結局は自分の為にしています。経験が増えるにつれて自分が身につけたものがときに邪魔するのは自然なことだとも思っています。何も全員にしなくていい。そこは経験を活かしてある程度表情を見て自分が挨拶するかどうかを選べばいいと思います。

目的は、自分自身が今日も1日気分よく過ごすこと。ですから。
意図的に気持ちよく1日を過ごせるようにする。その積み重ねが、やがて「言葉」に現れていって「自分そのもの」になっていきます。

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