ガンプラ、紡ぐ、家族
既婚者である私には、近所に住む義母がいる。
仕事の関係もあるし、それ以外の事情もあって会うのは年に数回。
でも、一緒に遊びや旅行に出かけたりする。
過去には義母が東京 - 京都間を行ったり来たりしていた時期があった。
この頃、義母とふたりで京都へ向かったこともあった。
はっきり言って、仲がいい。
1979年。
あの名作アニメが初回放映となった。
しかし、子供には内容が難しすぎたからなのか。
おもちゃの売れ行きが悪かったせいなのか。
全52話の予定が43話となり、打ち切られてしまった。
理由などどうでもいい。
打ち切られたという事実が重要だ。
しかし名作は名作。
どこからか熱狂的な渦が湧き上がり、たちまち人気コンテンツに育っていった。
私がこの熱狂の渦に巻き込まれたのは、忘れもしない小学2年生のとき。
当時住んでいた3つの団地の中央のような位置にある、陸橋で繋がった2つの商店街。
その、うちから遠い方の商店街にあるおもちゃ屋さんでは、毎週日曜日になるとじゃんけん大会が開催された。
小学校の数で言うと、3つ。
団塊ジュニアと呼ばれた私達の世代は、ドン引きするくらい子供の数が多かった。
どこから湧いて来たのかというほどの子供たちが、じゃんけん大会に参加していた。
目的は明確だ。
「今週こそはガンプラを手に入れる」
ただ、それだけだ。
ブームもあり、品薄だったガンプラは、片田舎のおもちゃ屋に潤沢に並ぶようなものではない。
毎週、ほとんど当たる見込みのないガンプラを手に入れるため、開催時刻近くになると、ひとり、またひとり。
ほんの数回行われるじゃんけんに、誇りと名誉の全てをかけるのだ。
ひとりひとりが十字架に誓いを立てる騎士のように振る舞わなければならないのだ。
台の上に乗ったおもちゃ屋さんは、ガンプラを高々と掲げる。
人気キットが出てくると、その場の空気が一瞬で緊張したものに変わる。
そして、みんなが考えていたはずだ。
昨日はガチャガチャを我慢した。
お菓子すら買わずこの日に備えた。
きっと今日なら、命をかけたと言っても過言ではない、この勝負に勝利することができるはずだ。
じゃんけん大会のルールは明白だ。
おもちゃ屋さんが掛け声とともに、ガンプラを持たない方の手でじゃんけんをする。
マイクや拡声器なんてものはない。
大きな声で叫ぶのだ。
「じゃん! けん! ーーーーー ぽん!」
後出しなどできない。
周りの空気が、そんなズルを許してくれないのだ。
ガンプラを手に入れたヒーローになるのか。
それともじゃんけんでズルをした卑怯者のレッテルを貼られるのか。
そこに選択肢はなかった。
許されるのは、店員さんへの勝ちだけだった。
あいこなどと言う甘ったれた結果は、評価に値しないのだ。
死地に赴く戦士には、勝ちなのか、それ以外なのかという結果しか残されない。
負けた者は次々と座らされていく。
そうして何度かの真剣勝負を生き延びた者だけが、今週のガンプラにめぐりあうことができるという、何物にも変え難い最高の栄誉を手にすることができるのだった。
私は、この血を血で洗う戦いに勝利したことは、ほとんどない。
なので、ブームが一番加熱していた時期には、お婆ちゃんが送ってくれたものを含めて片手で数えられるものだった。
子供の頃のガンプラというのは、何をどうやってもうまく作れないようにできている。
綺麗に塗ったはずの接着剤が、ふと気づくと指に付いていたりする。
当然、ペタペタとガンプラに付いてしまうのだ。
小学校低学年ともなると、それがまた極端だ。
プラスチック向けの接着剤というのは、樹脂を溶かす。
溶けた樹脂を重ねて圧着することで、時間経過により固まった樹脂が接着先とくっついた状態になる。
この「溶かす」というのが実に厄介なのだ。
あちこちに付着した余分な接着剤は、容赦なくガンプラの表面をほんのり溶かす。
当然、表面が汚くなる。
どんなに注意しても、これが避けられないのだ。
そして、そんな小学生にはプラモデルの作り方などという情報があるはずもなかった。
今考えると、とても簡単なことだ。
紙やすりを使えばいい。
400番、600番、800番と整えていけば、そんなものは大して気にならないようにはなる。
しかし、そんなことがわかったところで、子供の予算は潤沢ではない。
道具ひとつ買うのにだってお小遣いが消えて行くのだ。
精神的にも、大人のようなゆとりはなかった。
紙やすりを買いますか?
それともガチャガチャを回しますか?
答えは明白だ。
限りあるお小遣いの使い道は、道具ではないのだ。
だから、そんなことを知っていたとしても明らかに無駄なことだったはずだ。
小学校低学年が自力で作るガンプラは汚い。
その真実に、何かを足す必要なんてないということだ。
塗装だってしない。
初めてプラモデルに色を塗ることができるのに気付いたとき。
目の前に置かれていたのはラッカー系塗料だった。
水でなんて薄まらない。
匂いもきつい。
そんなものを買います、なんて言えるわけがなかった。
それでも、なんとか少しでも綺麗にカッコよくガンプラを完成させようとする。
いじくり回す。
ツノが折れる。
ゴテゴテに接着剤を塗りたくった部分が、最後にはうまく接着できなくなる。
やればやるほど、カッコ悪くなっていく。
ブームが加熱した時期に、小学校低学年だった自分の生まれの不幸を呪うしかなかった。
そんなガンプラブームの過渡期も、いつしか過ぎ去って行った。
小学校4年生。
この年の夏、私は引越し、転校した。
いかにもローカルな古臭いスーパーマーケットのようなものと、その周辺にある商店たち。
最も重要なのは、自転車屋さんだった。
ここには、ガンプラがあった。
ガンプラブームは最も加熱した時期を超えたものの、私の周りではまだ、じわじわと熱かった。
ガンダム本編に登場しなかったガンプラが次々に登場していた。
モビルスーツバリエーション。
通称、MSVというやつだ。
引き続き、私はそれら最新のものを手に入れることができなかった。
それでも、少しだけ進歩はしていた。
ラッカー系の塗料をいくつか手に入れるという、猿から人への第一歩を歩み出していたのだ。
塗料の蓋を開け、おもむろに筆を突っ込む。
シンナーなんて持ってないから、頑張ってティッシュで拭いた程度では、どうしても瓶の中で少しずつ混ざっていったりする。
でも、第一歩の段階ではそれで全く構わなかった。
プラモデルに色がつく。
その事実だけが重要だった。
そもそもがびっくりするほどの不器用さだ。
マスキングテープの存在すら知らずに、うまく塗り分けることなんてできるはずがなかった。
だから、それでよかった。
その頃には、ニッパーを使うということも覚えていた。
だが、ほんの少しの切りすぎを回避する手段は持っていなかった。
やすりなんてものは、その存在を頭の中にイメージする対象ではなかったのだ。
ガンプラの部品ギリギリで切り落とさないと、ランナーの一部が残る。
そんなことになるくらいならプラをえぐる。
考えるまでもなく、簡単な選択だった。
そうこうしているうちに、あの重大な発表を耳にする。
7年後のアムロが帰ってくるというのだ。
小学5年生。
この年は、人生の転換点だったと言っても過言ではないだろう。
テレビアニメで続編が放送されたのだ。
機動戦士 Zガンダム。
これは、熱狂するに十分だったのだが、意外なことにあまり見ていない子供がそこそこいたように思う。
しかし、私の心はしっかりと前作から続くガンプラへの熱狂を継いでいた。
なぜそんな状況になっていたのかを考えてみる。
前作と比べ、複雑すぎたのだろう。
いきなりティターンズとか言われても困る。
主人公がガンダムを強奪するってどういうことだ。
なんで反地球連邦組織なんだ。
寝返りが過ぎる。
何より戦死者が多過ぎる。
そして、小学生に恋人などという切り口を語っても、ピンと来ないことが多かった。
そんなところなんじゃないだろうか。
しかし、私にはそんなことは関係のない話だった。
そして、相変わらず最新のガンプラを手に入れることはできなかった。
何せ、今まで300円とかで買えていたものが、いきなり500円だ。
小学生という時代の懐には、そんな潤沢な予算は、まだなかった。
毎週のアニメ放送と並行して、自転車屋さんの中のおもちゃコーナーでも、高鳴る鼓動を抑えながら、私は刻の涙を見ていた。
1985年のことだった。
翌年。
地続きのストーリーでZZガンダムが放送された。
Zがふたつでダブルゼータ。
正直読み方に無理があると思った。
小学校5年生から6年生。
両親に対する反抗期らしい反抗期がなかった私でも、読み方についてはしっかりと反抗期を迎えていたのだろう。
そして、当時はそのメカニックデザインにも不満があった。
まさに反抗期真っ盛りだったのだ。
大きくなり、いろんなものがくっつけば良いという単純なものではないのだ。
だから、最新のキットを追い求めることはなかった。
随分とあっさりしたものだった。
アニメではないもの、例えばタミヤのラジコンなんかに時間を使うようになって行った。
1988年。
私は中学1年生になっていた。
そんな中、再びアムロとシャアが時を越えて帰ってくるという特報映像が流れた。
すっかり大人になった気分でいた私は、同じように大人になった彼らと会うのが楽しみでならなかった。
実は1作目の時ですら、当時の自分よりも年上であることに気付くわけもなかった。
前回、映画館でガンダムを見たのは小学校2年生のとき。
ガンダムIIIを見て以来、5年ぶりになるだろうか。
ウキウキしながら映画館へ行くことを親にねだったのは当然のことだった。
映画館でもらえる、光るSDガンダムも絶対に欲しいアイテムだった。
そして、中学1年生ともなると、それまでとは予算が違った。
1つなら、最新のものが買えるのだ。
こうして買ったガンプラには、ネジが付いていたことを覚えている。
いずれにしても、熱狂というほどの熱狂はすでに過ぎ去っていたのだった。
あれから長い年月が経った。
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