40年使ってきたのに、考えたこともなかったーー三つの文字は何をしているのか
日本語には文字が三種類あります。
漢字とひらがなとカタカナ。
私たちは毎日それを混ぜて書いています。
でも、なぜ三つもあるのかと聞かれたら、答えに詰まると思います。
ありがたいことに、私はまだこれを生徒さんから聞かれたことがありません。
だから、考えたこともありませんでした。
もちろん使い分けはできます。
でも、なぜそう使い分けるのかは説明できない。
日本語ネイティブとして生きてきた年数と、説明できる度合いは、まったく別のものです。
今回もまた痛感しました。
音が少ないから、看板が要る
三つある理由をひとことで言うと、日本語は音の種類が少ないからだそうです。
日本語の音の種類は100前後だと言われます。
英語はそれと比べものにならないほど多いです。
音の数が少ないということは、同じ音の言葉が増えるということです。
たとえば「かみ」。
神、紙、髪、上。
ひらがなだけで書いたら、どれなのか分かりません。
職場に山田さんが四人いるようなものでしょうね。
名字を呼ぶだけでは誰も振り向かないので、下の名前や部署を添えることになります。
音が足りない分を、文字の見た目で補っている。
それが漢字の役目です。
読む人は「かみ」という音にたどり着く前に、字の形から意味を受け取っています。

英語だと順番が逆になります。
文字を音に組み立てて、その音から意味に届く。
漢字は先に意味が来ます。
一つの文に、三つの世界がある
役割で見ると、こうなります。
漢字は意味を運びます。
ひらがなは文法をつなぎます。
カタカナは「これは外から来た言葉ですよ」という札を掲げます。
「私はコーヒーを飲みます」という一文で見てみます。
私と飲むが漢字で、これが何の話かを担当しています。
「は」と「を」と「ます」がひらがなで、文の骨組みを作っています。
コーヒーがカタカナで、外来語だと知らせています。

たった一文の中で、三種類の情報が同時に走っている。
そう気づいたとき、日本語の書き方は複雑なのではなく、よくできた仕組みなのだと思うようになりました。
もちろん、これは後から整えられた説明でもあります。
三つの文字が最初からこの役割分担で設計されたわけではなくて、長い時間をかけてこの形に落ち着いたようです。
それでも、今使われている形を説明するには足ります。
英語と比べると、違いがはっきりします。
英語では、mountain も drink も、the も of も、同じアルファベットで書かれます。
意味を運ぶ言葉と、文法を支える言葉が、見た目では区別されません。
そのかわり、単語と単語のあいだにスペースがあります。
日本語にはそのスペースがありません。
代わりに、文字の種類が切り替わるところが区切りになっています。
「私はコーヒーを飲みます」を見ると、漢字からひらがな、ひらがなからカタカナ、と切り替わるたびに言葉の切れ目が来ています。
もちろん全部がきれいに切れるわけではありませんが、読むときの手がかりにはなっているのでしょうね。
関係を示す言葉は、うしろに付く
言葉は、大きく二つに分けられます。
意味を運ぶ言葉。
名詞や動詞、形容詞です。
文法の世界では内容語と呼びます
関係を示す言葉。
英語なら the や in や of、日本語なら「は」「を」「に」。
こちらは機能語です
この二つは、どの言語にもあります。
違うのは、置かれる場所と見た目です。
荷物と荷札のようなものだと思います。
荷物が内容語で、どこ行きなのかを示す荷札が機能語です。
英語は荷札を先に貼ります。
in Tokyo、of Japan という並びです。
日本語は荷物を置いてから貼ります。
東京で、日本の。

並びが逆なのは、言語ごとに大事なものを置く位置が違うからです。
日本語は文の最後に動詞が来ます。
後ろに向かって話を締めていく形なので、機能語も名詞の後ろに付きます。
英語は主語のすぐ後ろに動詞が来て、先に骨組みを見せてから中身を足していきます。
だから、関係を示す言葉が先に立ちます。
同じことは、日付や住所にも出ています。
日本語は年から書いて、月、日と具体的になっていきます。
住所も都道府県から始まって、最後に番地です。
英語は逆で、日から書いて年で終わり、住所も番地から始まって国で終わります。
大きいものから入るか、目の前のものから入るか。文の作り方と同じ向きに見えます。
しかも日本語では、その荷札が必ずひらがなで書かれます。
漢字で書かれた荷物のうしろに、ひらがなが一つか二つ下がっている。
それが見えたら、そこが文の関節だと分かります。
この見取り図を渡したら、どうなるだろう
この話は、次のレッスンで渡してみようと思っています。
初級のうちは、文字を一つずつ拾って読んでいるはずです。
漢字が意味、ひらがなが文法、カタカナが外来語という見取り図が頭にあれば、文を見た瞬間に骨組みが目に入るかもしれません。
知らない漢字があっても、そこが意味を運ぶ言葉だと分かれば、文の形は追える。
そうなるなら、かなり大きい変化です。
もっとも、これがそのまま役に立つとは限りません。
文字が途中で切り替わること自体、初めのうちは混乱の材料です。
なぜここで形が変わるのかが分からないまま眺めていたら、ただ読みにくいだけでしょうね。
役に立つのは、理屈を先に渡したあとです。
切り替わるところが区切りなのだと知っていれば、単語の意味を全部知らなくても、ひらがなの位置から文の形は追えます。
同じ景色でも、見方を持っているかどうかで意味が変わります。
順番が逆だと、たぶん効きません。
考えてみると、私たちは初級の教科書でひらがな、カタカナ、漢字を順番に教えます。
会話ができるようになりたい生徒さんなら生徒さんからの希望がない場合、漢字は後回しになることも多いはずです。
それ自体は理にかなっていると思います。
話せるようになりたいだけなら、まず必要なのは語彙と文法です。
今はスマホで写真をかざせば翻訳が出てくるので、漢字が読めなくても生活は回ります。
ただ、そうすると「なぜ三つあるのか」は、飛ばされたままになります。
一つひとつの文字の読み書きは教えるのに、なぜそこにその文字が来るのかは渡していませんでした。
私は今まで、漢字は中国から来たもの、ひらがなは日本で生まれたもの、カタカナは外来語に使うもの、というところまでを教えてきました。
それぞれが文の中でどんな仕事をしているかは、そこまで考えが及んでいませんでした。
由来だけを渡して、役割は渡していなかったことになります。
読めなくても生活が回る時代だからこそ、ここは人の側の仕事なのだろうと思います。
翻訳アプリは、その文が何を言っているかを教えてくれます。
でも、なぜその文がその形をしているかまでは言いません。
訳を渡すのは機械の仕事で、見取り図を渡すのは私たちの仕事です。
ネイティブだから説明できるわけではない、といういつもの話です。
使えることと、説明できることは違います。
私はこれを何度も思い知らされていますが、今回もそうでした。
40年使ってきた文字について、初めて理屈を持てた気がします。
