ピーマンの種
ピーマン。それは子育て世帯にとって鬼門のたべものではなかろうか。
ピーマンのおいしさに気づくのはいったい何歳からだろう。なかには大人になっても相変わらずピーマンが苦手というひともいる。なんとなくだが、男性に多い気がする(わたししらべ)。
わたしは幸いにも、ピーマンがだいじょうぶな子どもだった。
子どもの舌は敏感で繊細というので、わたしの舌が鈍感だっただけかもしれない。
しかし、パクチーをはじめてたべたときの衝撃たるや。
20歳ちかかったはずだが、舌に載せた瞬間思った。「これは人間のたべものではない」。しかし、脳は単純である。何回か食すと、わたしはパクチー大好き星人になった。
いまでは、たまに無性にパクチーをたべたいという衝撃にかられ、スーパーでパクチーを購入し、わしゃわしゃたべる。子どもからは、カメムシのにおいがするとクレームがはいる。
パクチーには中毒性がある。が、はまらないひとにはまったく、はまらない。わたしはパクチーのような存在でいたい。なんのはなしだろうか。
ところで、ピーマンの種はたべられるらしい。
ズボラの民あるあるとは思いますが、ピーマンの種、取り除くは取り除くけど、のこってても気にしない。
それこそ20代のころとかは、これでもちゃんときれいに取ってたなって思ったんです。わざわざ洗ったりして。
でもいつからか、めんどうくさくなって、まぁいいかってあきらめたんです。種、たくさんのこってるけど、そのまま切って、一緒に炒めちゃおうと。なんか、どうでもよくなって。
ただ、わたしはおかあさんなので、これは栄養的にどうなんだろう?と調べてみたんです。
するとなんと、栄養満点だそう。ピーマンってまるごとたべるのが一番栄養価高いそうです。
じゃあ、なんですか。わたしはいままでわざわざ栄養を取り除いていたということですか! 衝撃。あれだ、ニンジンの皮に栄養がたくさんあるのと同じ現象だ。
というかひょっとしてたべものって、皮とか種とか捨てるところにこそ栄養があるの…?たしかに種ってよくかんがえたら、卵みたいなもんじゃないですか。
わたしは、愕然とする。
いままで、なんと無駄な時間を…。
もうこのまま、種は取り除かず、切るのがいちばんだ。
そして、昨日こっそり、子どものごはんにピーマンをまぜた。
のこすかな、とあきらめていたけど、気づけば完食している。
「ピーマンたべたの?」と訊けば「おいしかったよ」である。
ついに、息子がピーマンを克服した。
子どもってすごいなぁとつくづく思う。
熱中することがあれば、とことんハマる。パクチーの性質とおなじだ。ただ、パクチーは受動的で、子どもは主体的。すきなものに、とことんハマる。おそるべき集中力と持続力。
親としては、子どもの才能の種をみつけてあげることが役目なのかもしれない(なんか種とかパクチーとか、うまくまとめようとしてませんか。強引じゃありませんか)。
うちの息子はいま空前のけん玉ブーム。
保育園のときは続いても2~3回だったのが、10回、20回と続くようになり、ここ2.3日で100回、150回と順調に記録を更新続けている。
同じ学童には1000回を超える猛者もいるそうだ。
オバチャンとしては1000も数えたことが、すでにすごい。
心の底から尊敬する。
そして、11月8日をピーマン記念日にしよう!という発想には至らないから、やはり俵万智さんは、すごい。
こちらも、心の底から尊敬する。
そんなことを考えた11月9日は、尊敬記念日。
うーん、なんかオチとしていまひとつ。
ま、いっか。
