ポリゴンはひどい。でも『プロレス戦国伝』は面白い
ぬこれのレトロゲーム解析室【ゆっくり解説】さんより引用
『週刊プロレス監修 プロレス戦国伝』というゲームがある。
1997年、初代プレイステーション。
まず、ポリゴンがひどい。
レスラーの身体は角ばっている。顔もよく分からない。技が決まっても、一瞬「いま何をやった?」となることがある。
しかもプロレスゲームなのに、試合中のレスラーを自分で操作できない。
ファイプロなら、ここでラリアットを出す。ここでジャーマンに行く。ここで必殺技を叩き込む。
『プロレス戦国伝』では、それができない。
見るしかない。
自分が育てたレスラーが、自分の思い通りにならない試合をする。それを眺める。
文章にすると、かなりひどいゲームである。
ポリゴンはひどい。
操作もできない。
見るしかない。
それなのに、実は楽しい。
ここが『プロレス戦国伝』のおかしなところである。
このゲームで自分がやるのは、レスラーになることではない。
団体を作り、選手を育て、カードを組み、自分なりのプロレス界を作っていくことである。
しかも最初に、創生時代、異種格闘技時代、多団体時代という三つの時代からスタート地点を選べる。
つまり、
「どの時代のプロレス界で生きるか」
そこから始まる。
レスラーを育てる。
技を覚えさせる。
試合に出す。
引き抜く。
新人を育てる。
自分の団体を大きくしていく。
そして試合が始まったら、選手に任せる。
弱い新人をずっと育てる。
何度やっても勝てない。
それでも試合に出す。
少しずつ強くなる。
そしてある日、格上を倒す。
自分で操作して勝たせたわけではない。
だからこそ、
「おお、勝った!」
となる。
ポリゴンの顔には何の表情もない。
でも、こっちには見える。
たぶん泣いている。
勝手にそう思う。
それでいい。
そう思える人間ほど、このゲームは面白い。
そして実況がいい。
肉声実況が入る。
しかも時代が進むにつれて、実況の雰囲気まで変わっていく。
レスラーが変わる。
団体が変わる。
プロレス界が変わる。
それと一緒に、プロレス中継の空気まで変わっていく。
ここまでやる。
ポリゴンだけ見れば、どう考えても迫力不足である。
ところが実況が乗る。
すると、さっきまでカクカクした人間が動いていただけの画面が、急にプロレス中継になる。
「返せ!」
「立て!」
「そこで負けるな!」
何も操作していない。
見ているだけである。
それでも熱くなる。
そして、このゲームでもう一つ素晴らしいのが、週刊プロレスである。
大きな試合や事件が起きると、それがゲーム内の週刊プロレスの表紙になる。
これがたまらない。
単なる「イベント発生」という文字ではない。
週プロの表紙になるのである。
しかも起きる事件が、プロレスファンならどこかで聞いたことのあるものばかりなのだ。
団体のエースが突然飛び出す。
新しい団体を旗揚げする。
ところがその団体がうまくいかなくなり、やがて元の団体へ戻ってくる。
その流れを見れば、前田日明や第一次UWFの時代を思い出す人もいるだろう。
角界の横綱が問題を起こし、プロレス界へやって来る。
これはもう、北尾光司の姿が頭に浮かぶ。
企業の資本によって突然、新しいプロレス団体が誕生する。
SWSの時代を知っていれば、またニヤリとする。
海外から格闘家がやって来て、プロレスの強さそのものを問うような戦いが始まる。
猪木が何度もやってきた異種格闘技戦の世界である。
もちろん、ゲームの中で実名そのままの歴史を再現しているわけではない。
少しずつ形を変えている。
だが、プロレスを知っていれば分かる。
「ああ、これ、あの事件だ」
となる。
これがいい。
歴史の年表を読まされるのではない。
自分の団体が存在している世界で、その事件が起きる。
そこが重要なのである。
自分が必死に選手を育てている横で、別の団体ではエースが飛び出している。
新団体が生まれる。
格闘技から刺客がやって来る。
そして次の瞬間、それが週刊プロレスの表紙になる。
これだけで、ゲームの中に本当にプロレス界が存在しているような気がしてくる。
昔のプロレスファンにとって、週プロの表紙には特別なものがあった。
何か事件が起きる。
翌週、本屋へ行く。
表紙を見る。
「うわっ!」
となる。
中身を読む前に、表紙だけで事件の大きさが分かった。
『プロレス戦国伝』は、その感覚までゲームに入れている。
だから「週刊プロレス監修」という名前が飾りではない。
むしろこの部分に一番効いている。
プロレスの歴史というのは、リングの上だけで作られてきたものではない。
テレビ中継がある。
実況がある。
週刊誌がある。
選手の移籍がある。
団体の分裂がある。
突然の旗揚げがある。
格闘技との戦いがある。
そういうもの全部を含めてプロレス界だった。
『プロレス戦国伝』は、それを一つのゲームにしようとしている。
だから試合を自分で操作できないことも、しばらくすると欠点ではなくなってくる。
自分で操作できたら、勝たせようと思えば勝たせられる。
しかし『プロレス戦国伝』では違う。
育てるところまでは自分の仕事。
リングに上がったら、もう選手に任せるしかない。
返せ。
立て。
頼むから負けるな。
気がつくと、ゲームを遊んでいるのではなく、普通にプロレスを見ている。
これが意外なくらいプロレスなのである。
そして私は、『プロレス戦国伝』の一番大事なところはここだと思っている。
このゲームには、想像する余地が大量に残されている。
今のゲームは何でも見せてくれる。
顔もリアル。
汗も見える。
入場も派手だ。
技も本物そっくりである。
『プロレス戦国伝』には、そんなものはほとんどない。
足りない。
何もかも足りない。
だから、こっちが足す。
この二人には因縁がある。
こいつはずっとエースの陰に隠れてきた。
今日のタイトルマッチは団体の未来が懸かっている。
この敗北で世代交代かもしれない。
そんなことを全部、勝手に考える。
すると、あの四角いポリゴンがだんだんレスラーに見えてくる。
考えてみれば、昔のプロレスファンはこれを普通にやっていた。
地方大会を全部映像で見られたわけではない。
週刊プロレスを読む。
試合結果を見る。
一枚の写真を見る。
短いコメントを読む。
そして想像する。
「この試合、すごかったんだろうな」
「あいつとあいつ、何かあったんじゃないか」
「次はこのカードになるんじゃないか」
見えていない部分まで、頭の中ではプロレスが続いていた。
『プロレス戦国伝』も同じなのである。
全部を見せてくれない。
全部を操作させてくれない。
だからプレイヤーが埋める。
最初は名前すら覚えていなかった選手の勝敗が気になってくる。
エースが負ければ腹が立つ。
若手が勝てばうれしい。
そしてプロレス界では、自分とは関係なく事件が起き続ける。
いつの間にか、ゲームの中に自分だけのプロレス史ができている。
ポリゴンはひどい。
レスラーは自分で操作できない。
試合になったら見ているしかない。
それでもいい。
実況がある。
時代が動く。
事件が起きる。
週プロの表紙になる。
育てた選手が勝ったり負けたりする。
そして足りないところは、自分の頭の中で勝手に作ればいい。
想像力さえあれば、『プロレス戦国伝』はめちゃくちゃ楽しい。
いや、このゲームの場合はむしろ、
想像力がある人ほど楽しい。
そういうプロレスゲームだったのである。
9/15 追記
なぜかこの記事やたらアクセスが多くてびっくりしてます。
もし時間あったら理由コメントしてってね!
いいなと思ったら応援しよう!
チャリンチャリーン♪