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2002年の猪木問答。

2002年の新日本プロレスを振り返るなら、私は2月1日の札幌から始めたい。

創立30周年。

本来なら、新日本の歴史を盛大に祝う年である。

ところが、年明け早々からそんな雰囲気ではなかった。

武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが全日本プロレスへ移籍する。

一方ではPRIDE、K-1が世間を席巻していた。

プロレスラーは本当に強いのか。

新日本の選手たちは、その問いをリングの外からも中からも突きつけられていた。

そして、その中心にいたのがアントニオ猪木だった。

2002年2月1日、北海道立総合体育センター。

蝶野正洋、天山広吉、後藤達俊VS長州力、藤波辰爾、越中詩郎。

試合が終わる。

蝶野がマイクを握った。

会社の現状について説明を求める。

そして、会場に向かって言った。

蝶野「このリング、我々の上に一人、神がいる。ミスター猪木!」

『炎のファイター』が流れる。

猪木がリングへ上がってくる。

ここからである。

後に「猪木問答」と呼ばれる時間が始まった。

猪木も最初から怒っていた。

新日本を離れている間に、いろいろなことが起きた。

選手が出ていくことだけではない。

大切なものまで持っていかれ、それを黙って見ている状況が気に入らない。

そして蝶野を見る。

猪木「お前も怒ってるか?」

蝶野は答える。

蝶野「俺はこのリングでプロレスがやりたいんですよ」

私は、この言葉が2002年の新日本を一番よく表していると思う。

新日本プロレスのレスラーが、新日本プロレスのリングで、

「プロレスがやりたい」

と訴えている。

普通なら、おかしな話である。

しかし当時は、それをわざわざ猪木本人に言わなければならなかった。

猪木は簡単に「分かった」とは言わない。

自分が引退して数年が経った。

自分が最後に残した「道」の言葉を忘れたのか。

夢や希望が見えないからと小さくなるのではなく、自分たちの戦いで何かを見せなければならない。

プロレスラーなら、自分たちでプロレスの価値を作れ。

そんな話へ広げていく。

そして蝶野に対しても、もう人に任せる立場ではない、お前自身がリングを動かす側になれと突きつける。

蝶野も引かない。

だったら、この現場を自分に任せてほしい。

リングは自分が仕切る。

そこまで言って、周囲の選手たちにも声をかけた。

言いたいことがある奴はいないのか。

ここで中西学、永田裕志、鈴木健想、棚橋弘至がリングへ入ってくる。

いよいよ猪木問答である。

まず中西学。

猪木「オメエも怒ってるか!」

中西「怒ってますよ!」

猪木「誰にだ!」

中西「全日に行った武藤です!」

猪木は中西を見る。

猪木「そうか。オメエはそれでいいや」

終わった。

あまりにも早い。

勇気を出して武藤敬司への怒りを口にしたのに、猪木はほとんど一言で片付けてしまった。

次は永田裕志。

猪木「オメエは!」

永田「全てに対して怒ってます!」

すると猪木が食いつく。

すべてとは何だ。

自分なのか。

会社幹部なのか。

長州なのか。

具体的に言え。

永田も引けなくなった。

そして、

永田「上にいる全てです!」

かなり強い。

目の前の猪木も含まれている。

会社上層部も含まれている。

新日本そのものへの怒りである。

猪木「だったら、やつらに気づかせろ!」

上にいる人間が気に入らないなら、自分でそいつらに気づかせろ。

結局、永田にも「自分でやれ」である。

続いて鈴木健想。

猪木「オメエは!」

そして出た。

鈴木健想「僕は、自分の明るい未来が見えません!」

何度聞いても強い。

今では笑いを伴って語られる言葉になったが、健想本人は真剣だった。

新日本がどこへ行くのか分からない。

自分がどうなるのかも分からない。

若手にとっては、本当に未来が見えなかったのだと思う。

猪木の返事は一瞬である。

猪木「見つけろ、テメエで!」

人生相談としてはあまりにも厳しい。

だが猪木である。

そして棚橋弘至。

ここまで中西、永田、健想が一人ずつ猪木に切り返されている。

棚橋は、誰に怒っているのかを言わなかった。

質問そのものから外れた。

棚橋「俺は、新日本のリングで、プロレスを、やります!」

今から見れば、これほど棚橋らしい言葉もない。

誰が悪いのか。

会社がどうなのか。

猪木がどうなのか。

そこではない。

自分は何をするのか。

新日本のリングでプロレスをやる。

それだけを言った。

猪木「それぞれの思いはさておいて……」

さておくのか。

ここまで一人ずつ聞いておいて、最後は全部さておくのである。

中西は武藤への怒りを語った。永田は上層部への怒りを語った。健想は未来が見えないと訴え、棚橋は新日本でプロレスをやると宣言した。

それを全部聞いた猪木が、

「それぞれの思いはさておいて」

と一度横へ置いてしまう。

猪木は棚橋の宣言を聞いて、全員の話をまとめる。

それぞれ思いがあるのは分かった。

本当に怒っているなら、その怒りをぶつけるリングを自分たちで作れ。

自分たちの力を発揮できる場所を、自分たちで作れ。

そして最後には、

猪木「俺に言うな!」

である。

これは凄い。

猪木を呼び出した。

猪木が質問した。

選手たちが一人ずつ答えた。

その最後に、

俺に言うな。

蝶野としては、たまったものではない。

だが、この日の猪木は最初から最後まで一貫していた。

中西にも。

永田にも。

健想にも。

棚橋にも。

自分たちでやれ。

結局、これしか言っていない。

猪木はもう引退した人間である。

これから食っていく場所は、お前たち自身で作れ。

新日本をどうするかも、お前たちが決めろ。

そういうことだった。

そして選手たちに握手をさせる。

問答で何が解決したのかは、正直よく分からない。

だが猪木の中では、これで一区切りらしい。

猪木は蝶野にマイクを渡す。

自分に代わって、ファンへメッセージを送れ。

蝶野が叫ぶ。

蝶野「新日本プロレス、もう一度ここで、最高のプロレスラーのレスリングを、もう一度よみがえらせる!」

蝶野がこの日に言いたかったのは、おそらく最初からこれだった。

格闘技が悪いという話ではない。

プロレスラーが総合格闘技に出ることを全部否定したかったわけでもない。

ただ、新日本プロレスのリングで、最高のプロレスを見せる。

そこをもう一度中心に戻したかった。

すると猪木が最後に言う。

猪木「俺がチョロチョロ出てくるような場を作るなよ!」

これもまた凄い。

呼ばれて出てきた本人が、

もう俺を呼ぶな。

と言っている。

そして最後は、

「1、2、3、ダーッ!」

永田、中西、棚橋、健想には闘魂ビンタ。

蝶野、天山、後藤とは握手。

さらに柴田勝頼まで自分から猪木の前へ出ていき、闘魂ビンタを受けた。

これで終わった。

一体、何だったのか。

会議なのか。

説教なのか。

決起集会なのか。

プロレスなのか。

全部である。

だから今でも残っている。

そして、このあとの2002年を見ると猪木問答はさらに味わい深くなる。

永田裕志はIWGPヘビー級王者となり、その後10度の連続防衛を達成する。

蝶野正洋はG1 CLIMAXを制する。

8月には中邑真輔がデビューする。

棚橋弘至も、まだ時間はかかるが、少しずつ新日本の中心へ向かっていく。

もちろん、すぐに明るい時代が来たわけではない。

むしろ、ここから新日本はさらに苦しくなる。

だから鈴木健想の、

「僕は自分の明るい未来が見えません!」

は間違っていない。

本当に見えなかった。

ただし猪木の、

「見つけろ、テメエで!」

も、後から考えると不思議なほど新日本の未来を言い当てている。

誰かが明るい未来を用意してくれたわけではない。

残ったレスラーたちが、自分たちで作った。

棚橋は本当に新日本のリングでプロレスをやり続けた。

永田はIWGPを守った。

蝶野は現場を支えた。

柴田も、中邑も、それぞれ別の形で次の時代へつながっていった。

2002年2月1日、札幌。

蝶野正洋が言った。

「このリング、我々の上に一人、神がいる。ミスター猪木!」

そして呼び出された神は、最後まで答えをくれなかった。

むしろ、

自分でやれ。

俺に言うな。

と突き放した。

猪木問答とは、新日本プロレスが創業者に答えを聞きに行って、

「答えはお前たちで作れ」

と言われた夜だったのである。


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