セガはいつも10年早い。極楽商店街編
わたし、西野葵はセガ(SEGA)が好きだ。
大企業なのに、攻めの姿勢を崩さない。
技術力もパない。ユーモアのセンスもある。大企業なのに。
でも、セガって、どうしてこうも「やらかし方」が派手なのだろう。
惜しい、あと一歩、そして尊い。
だからこそ、何十年たっても忘れられない。
そしてわたしは今日も、心の中でつぶやく。
———セガは、——いつも10年早い。
今やあの京都を抜いて、外国人観光客が「行きたい街」ランキングの上位に食い込む大阪。テレビやYouTubeでも連日、心斎橋だの通天閣だの、インバウンドの熱気を伝えるニュースが流れている。
そしてここ数年の“昭和レトロ”ブーム。
喫茶店、駄菓子、看板のフォントにいたるまで、懐かしさが一つのカルチャーとして蘇っている。
そこで思い出してほしい。
知らない人は知ってほしい。
セガの爪痕を。しかも壮絶な。しかも「また」である。
セガちゃんよ……。
そう、かつて大阪・道頓堀に存在していた「極楽商店街」の物語を始めようじゃないか。
あれは、2000年代初頭のことだった。
まだスマホなんて影も形もなく、ガラケーのアンテナを伸ばしてメールを打っていた時代。
そんな中で、セガは道頓堀のど真ん中に突如、ひとつの街を作った。
その名も「極楽商店街」。

名前からして、すでに怪しい。
“商店街”なのに、実体はテーマパーク。
“極楽”なのに、なぜか薄暗い。
そして何より、昭和レトロを再現したアミューズメント施設という、当時としては意味不明なコンセプト。
令和の今でこそ、「昭和レトロ」がブームとして持てはやされている。
でも、あの頃はまだ「古臭い」と笑われる存在だった。
つまり、セガはまたしても10年早かったのである。
レトロ商店街のセットに、射的屋、占い、たこ焼き屋が並ぶ。
壁のポスターはセピア色。
流れるBGMは懐かしい歌謡曲。
なのにその中心で、ゲームセンターの最新筐体がピカピカ光っていた。
レトロとハイテクが混ざり合う、混沌の極み。


まるでセガそのもののような場所だった。
技術とロマンの塊。
そしてどこか不器用で、愛おしい。
セガの歴史を知る人なら、もうお察しだと思う。
あれは、やっぱり“早すぎた”のだ。
極楽商店街は、オープン当初こそ話題を集めた。
「昭和の街並みが体験できる!」
「セガが作った懐かしい世界!」
……しかし、実際に訪れた人々の反応はだいたいこうだった。
「え、これ、なんの店?」
「ゲームセンター……ではないの?」
「たこ焼きが400円……?」
そう、セガの挑戦は、いつものように理解されなかった。
彼らが創ったのは“懐かしさ”ではなく、“懐かしさの再構築”だった。
でも、当時の世間はそんな高度なメタ構造を受け止める準備ができていなかったのだ。
結果、極楽商店街は数年で幕を閉じた。
まるで、夢のように。
正確に言えば、夢の「後片付け」のように。
けれど、わたしは思う。
あの場所が本当にやりたかったことは、“過去を懐かしむ”ことじゃなかった。
“過去を遊ぶ”ことだったのだと。
セガは、いつだってそうだ。
みんなが「そんなの無理」と笑うところに、真顔で突っ込んでいく。
そして、予算を燃やし、理想を積み上げ、見事に散る。
それでも、ちゃんと“笑える”形で散っていく。
普段はヒット作を連発するのに、社運を賭けるとコケる。
しかも盛大に。ゼロリセット。
その姿が、たまらなく好きなのだ。
いま、街を歩けば、昭和レトロが息を吹き返している。
ネオンサイン、純喫茶、銭湯、駄菓子。
「懐かしい」がエンタメになり、「古い」がブランドになった。
あのとき、セガが極楽商店街で挑戦した“時間旅行”は、いまや現実になっている。
レトロがビジネスになり、ノスタルジーが観光になる。
でも、セガはそれを、20年前に本気でやっていたのだ。
誰よりも早く、懐かしさの未来を見ていた。
誰よりも早く、時代に追い抜かれていった。
そういう不器用さが、セガには似合う。
誰も通らない道を選んで、道ごと消えていく。
けれど、あとから誰かがその跡をなぞると、そこには必ず“面白い”が転がっている。
わたしは、そんなセガを笑いながら愛している。
極楽商店街のように、儚く、無駄に、全力で。
そして、たぶん次もまた同じように思うだろう。
———セガは、——いつも10年早い。
