富田林を歩く(寺内町)
名古屋から近鉄特急ひのとりに乗って、難波手前の鶴橋で降り、腹ごしらえをするのも旅の楽しみのひとつ。翌朝(9/5)、阿部野橋から近鉄で向かったのは河内長野の手前、富田林。父方祖父の出身地で、錦の由来は地名の錦織(百済系機織集団が住み着いた所)から。祖父は若い頃に出て行った為、既に密な親戚付き合いはなく、父に賀状が数枚届いていた位。けれど昨年、父他界のお知らせを一応した所、えらい達筆のおじいさまによる毛筆賀状が届いてしまい、変な汗をかいた…。ともあれ以前よりファミリーヒストリーに興味はあって、錦織(にしこおり)神社にたまにお詣りしていたのだが、今回は富田林の中心部、寺内町(じないまち)へ潜入してみた。実はこの辺り、母方曽祖母の出身地でもあるらしい。
寺内町とはその昔、主に浄土真宗のお寺を中心に、土塁や濠で囲うように造られた街の事で、有名どころでは奈良橿原の今井町などがありますな(近くまでお邪魔しているのに訪れた事がない…)。ここ河内エリアの富田林にもあり、駅から7〜8分真っ直ぐ歩いただけで、そこはもう太秦か日光江戸村か?築300〜400年ワールドが広がっていており、思わず息をのむ。
まずはNHK『カムカムエヴリバディ』の撮影にも使われたという、旧杉山家住宅(国の重文、有料)を見学。明治時代にこの家に生まれ、与謝野夫妻門下の歌人でもあった石上露子という方の事や、小説「夫婦善哉」の作者・織田作之助が入り浸っていたとか、ある意味文化のメッカでもあったのだなぁと新たな発見も。お庭も(トイレすらも)素敵だった。



杉山家の向かいの案内所で入手した地図を片手に、更に街をぶらぶらと散策。ホントに平次や八五郎、町娘などが今にも出て来そう(たとえが昭和)。田守家、葛原家、中内家、、そういえば去年実家の本棚で見つけた、祖父マサルによる怪しい手書き家系図内の、娘達の嫁入り先だったかも。確かに近鉄や南海が通る前までは片田舎(空襲などされる訳もない)。まぁそら、皆うっすらと縁戚になりますわな。と、母方曽祖母と御関係があるに違いない奥谷家も発見。いくつか分家もされていて、帰ってきてから母に写真を見せたのだけれど、「うーんそうねぇ。全くどれだか分からないけれど、こんな古い木のウチだったわねぇ」…昭和も遠くなりにけり。
酒屋や醸造を営んでいた旧家が多く、今も住んでいる方もおられる一方、多くの建物は既に市などが管理しているか、地元の方がアトリエや古民家カフェを営んでおられるかという感じだった。今では大阪市内から急行で30分、古い街並み好きな海外観光客にも人気なのだとか。





大正13(1924)年頃に国分銀行として建てられ、昭和17(1942)年に三和銀行となり、50(1975)年迄は銀行として使用されていたとか。



町の中心のお寺さん、興正寺別院は工事中で見学できず、また台風通過直後の事で雨もまた降って来たので、東高野街道(ずーっと行けば高野山)を歩くのはやめて、早足で富田林駅に戻り、電車で川西駅へ向かい錦織神社へ。
(追記。とある河内エリア情報を発信しておられる方のnoteで、錦織神社にある天誅組/天忠組慰霊碑にまつわる話が紹介されていたのを最近目にし、そんな碑あったっけ?と確認したくなりまして。要は幕末の尊王攘夷派として、クーデターに参加し散った若者達の名前が掘ってあるのだが、その中に錦 弥次郎という方がいた。ほほぅ。)



