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産後初の面接デビュー。私が囚われていた「しなきゃいけない」の呪縛と、ママチャリの違和感

おはようございます。
ゆるゆる投稿、西中です。

先日、ついに私は人生で“ほぼ”初めてとなる、産後の転職面接に臨んだ。「ほぼ」と言うのは、過去のコロナ禍で一度だけ転職活動をしたものの、最終的に現職に留まる決断をした経験があるからだ。そのため、実質的には今回が本格的な挑戦となる。

ひとまず2社の面接を終えた今の感想は、驚くほど前向きだ。特に2回目の面接では、自分のこれまでのキャリアや想いを比較的スムーズに話すことができた。

何より、自分の内面にあるものを「言語化する楽しさ」を再発見できたのが大きな収穫だ。

合否がどうであれ、まずは今の自分をしっかりとアピールできたという充実感で、心は満たされている。

しかし、この面接デビューをきっかけに、私はある「強烈な違和感」と向き合うことになった。それは、日本の「当たり前」に潜む、窮屈さの正体である。

「なぜ私の話を聞いてくれないの?」という、優しい世界からのギャップ

時短や柔軟な働き方を求めて臨んだ、とある企業との面接でのこと。
開口一番、「この募集は9時から18時半勤務が前提となる職種です」と告げられた。

一瞬、頭の中がフリーズした。事前にエージェント経由で私の希望や状況は伝わっていなかったのだろうか、という疑心暗鬼が頭をよぎる。

と同時に、


「なぜこの人は、まずこちらの言い分を少しも聞こうとしないのだろう」

というモヤモヤが溢れてきた。

小さな子どもがいれば、送り迎えの時間などで多少の調整が発生するのは当たり前のことではないのか。

それなのに、「時間を完全に固定しています」という一歩も引かないスタンスに対して、「考え方が古いな」と感じてしまった自分がいた。

なぜ、私はここまで不満を抱いたのか。

少し冷静になって振り返ると、それは私が今、生後半年の娘を育てるなかで「0歳児のひよこクラス」をはじめとする、極めて優しくて穏やかな世界に身を置いていたからだと気づいた。

理屈や数字、厳しいルールではなく、ただただ愛おしさと優しさで回っている世界から、いきなり企業の「冷たい現実」に放り込まれたギャップだったのだ。

「小田桐あさぎさんの欲望100個」から見えた、私がママチャリに抱く違和感

「9時から18時半まで働ける人を求めています」と言われた瞬間、私の脳内は自動的に「じゃあ、娘の保育園の送迎があるから私は働けないな」という思考にロックされた。

しかし、あとから猛烈な疑問が湧いてきた。


「そもそも、なぜ私が、母親だけが送迎をしなければいけないのだろう?」

突飛な発想かもしれないが、私の大好きな海外ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』に登場する弁護士のミランダは、ベビーシッターを雇ってバリバリと法律事務所で働いていた。

もちろん、それはニューヨークのアッパークラスの極端な話かもしれない。けれど、「送り迎えは母親がやるべき」という絶対的なルールなんて、本来はどこにもないはずだ。

いま、私が住んでいるエリアは子育て世帯が多く、どこへ行っても子どもたちの活気にあふれている。

平日の昼間、娘と散歩をしていると、ある光景が必ず目に留まる。それは、ハイスペックな電動アシスト自転車の前後ろに子どもを乗せ、真剣な眼差しで、まるで映画『ハリー・ポッター』のクィディッチの試合のごとく華麗に街を飛び回るお母さんたちの姿だ。

平日、すれ違う送迎自転車の実に9割がお母さん。お父さんの姿は滅多に見かけない。

もちろん、中には協力して送迎している家庭もあるだろう。けれど、決まってママチャリを全力で漕ぎ、必死の形相で駆け抜けているのはいつだってお母さんなのだ。この光景に、私はどうしても違和感を禁じ得なかった。

なぜ、お母さんばかりがこんなに必死にならなければいけないのか。

子どもを誰かに頼んで送迎してもらうという発想や選択肢が、この国にはやっぱり定着していないのではないか。

「大変だね」という共感で、私は終わりたくない

子連れでの転職活動という壁にぶつかり、私は出産前に一度、休職した際にも読んだ小田桐あさぎさんの著書を改めて開いてみた。

独身・出産前に読んだときも目から鱗が落ちる感覚があったが、母親という当事者になって読み返すと、その言葉たちが、いま私が感じている違和感をこれでもかと見事に言語化してくれた。

とにかく「大変だね」が当たり前になっている風潮に、凄まじい違和感を覚えていたのだ。

世間はよく「お母さんって本当に大変だよね」と言う。

そして、その大変さをワンオペで、すべて1人でやり切っている姿を見て「お母さんはすごい」と称賛する。

でも、私は気づいてしまった。私が彼女たちを見て「すごい」と感じていたのは、「私もあんな風になりたい」という憧れからではなかった。

ただ、「すべてを1人で抱え込んでやり切っている孤独なタフさ」に対する、尊敬や感謝の気持ちだったのだ。

やっぱり、日本の子育てやキャリアの環境は窮屈だ。

いま、私の理想の未来には「私と娘で地方都市に住み、夫は東京で働く」という選択肢もある。

もしそうなった時、2人だけでやっていけるかという不安はもちろんある。けれど、そのときは母親である私がすべてを背負うのではなく、ベビーシッターや送迎を助けてくれる外部の手に頼る選択肢は「全然アリ」だなと思えた。

私は、経済的な自立を諦めたくない。

そして、ママ友同士の「毎日大変ですよね」という共感だけで会話を終わらせる生き方はしたくない。

母親だから「こうしなきゃいけない」という呪縛を、ひとつずつ手放していく。

自分の手で、もっと新しくて柔軟な生き方とキャリアを掴み取るために、私はこれからも前を向いて、私に合う職場を探し続けたいと思う。

はい、それでは
今日もnote投稿できた自分を褒めて終わります。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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