【自己紹介】満員電車のストレスで離婚した私が、高知でゲストハウスを継いで「二拠点生活」を始めるまで。
はじめまして、仁科 吉裕(にしな よしひろ)と申します。
北区・赤羽駅圏内に住んで20年以上が経ちました。最近、周りから「最近どんなことしてるの?」と聞かれることが本当に多くなってきたので、私がなぜ会社員を辞め、いま東京と高知を往復する暮らしをしているのか、その道のりを少しお話しさせてください。
一言で言うと、これは「失われた人生の時間と、人とのつながりを取り戻すための冒険」の記録です。
1. 朝の埼京線、トイレに駆け込む毎日と「失われた時間」
もともと私は、東証プライムの上場企業に約22年間勤める会社員でした。職種は精密機械のエンジニア。道具を使ってモノを組み立てるのが大好きな人間でした。
しかし、その22年間は日々、ストレスとの格闘でした。
毎朝7時前に起き、7時半の埼京線に乗る。車内の凄まじいプレッシャーのせいか、自宅から駅に着くまでのわずかな間に、何度もトイレに駆け込まなければたどり着けない日々。会社に入れば上司との相性に悩み、這うようにして帰宅するのは夜の22時半。そこから夕食をとり、せめて少しでもリフレッシュしたくてスマホやテレビを眺めるものの、深夜25時には「明日」のために眠らなければならない。
そんな、自分の心と体をメンテナンスするだけで精一杯の生活のなかで、家族にリソースを割くゆとりは完全に失われ、結果として離婚に至りました。
「このまま、残りの人生も同じようにすり潰して過ごすのだろうか。それはあまりにも勿体ない」
ふとそう気づいたとき、他社への転職が難しい年齢であることも自覚した上で、私は「個人事業主」として生きていく決意をしました。20年以上続けた、安定した会社員生活からのドロップアウトでした。

2. 工具が使えて、人と話せる仕事。そして、夏のエアコン分解
個人事業主として選んだのは、ハウスクリーニング業でした。
エンジニア時代は機械相手で、話す相手も社内の同じ人ばかり。「道具が使えて、もっとたくさんの人と話せる仕事はないか」と探したとき、たまたま赤羽にハウスクリーニングの技術学校があったことが、この道に進むきっかけとなりました。
「もしダメならアルバイトをして生計を立てればいい」という、ある種の開き直りでの開業でした。
最初はワンルームマンションの退去後の原状回復クリーニングから始めましたが、汚れの多様さや現場ごとの環境に慣れるまでは試行錯誤の連続でした。しかし、夏前に突然やってきた「エアコンクリーニング」の繁忙期が、私の流れを変えてくれました。
エアコンの内部洗浄には、緻密な分解と組み立ての作業が必要です。これが、精密機械の開発をしていた私にとって、驚くほど「苦にならない作業」だったのです。エンジニアとしての過去の経験が、思わぬ形で現在の生業(なりわい)とカチリと噛み合いました。

3. 「関係人口」の綺麗事と、突きつけられた私の無価値さ
エアコンの繁忙期が終わり、少しひと息ついた秋のこと。
近所で行われていた、山形からの移住促進を兼ねた小さなマルシェに、ふらりと立ち寄りました。
そこで出会った人たちと意気投合し、半年後に山形へ遊びに行くことに。現地では、副町長や役場の方、地元のプレイヤーたちが温かい歓迎会を開いてくださり、山形の自然や遊びを一緒にもてなしてくれました。それが本当に嬉しかったのを覚えています。

その後も、福島県12市町村をめぐるツアーに参加するなど、地方へ足を運び、現地の情熱的なプレイヤーたちと繋がることが私の新しい楽しみになっていきました。

しかし、何度か同じ地方へ遊びに行くうちに、胸のなかに「ある違和感」が芽生え始めました。
「1回目はお客さんとして歓迎してくれるけれど、2回目以降、どこか熱量が下がっていないか……?」
そこでハッと気づいたのです。
現地のプレイヤーたちは、忙しい仕事の合間を縫って私に会ってくれています。それなのに、私はただ「東京から遊びに行く」だけで、現地に対して何も価値を提供できていない。ただ相手の好意やリソースを消費しているだけだったのです。
地方の人々は、関係人口から「移住」や「地域への貢献」「経済活動」を念頭に置いて活動しています。当時の私は、その本質的なフェーズの壁を理解できていませんでした。
「遊びに行くだけの消費的な関係では、やがてお互いの熱量は冷めていく」
この気づきは、私にとって大きな転換点となりました。
4. 運命のビンゴ大会と、古民家ゲストハウスの承継
そんなもどかしさを抱えていたとき、東京で開催された高知県津野町の交流イベントに参加しました。
そこでも楽しい時間は過ごしたものの、一度きりのイベントでは、どこか「友達にも仲間にもなりきれない、ふわっとしたコミュニティ」のままでした。しかし、イベントの最後に行われたビンゴ大会で、私は奇跡的に「津野町の現地アクティビティ(フォレストアドベンチャー)のチケット」を当ててしまったのです。
「せっかく当たったのだから高知へ行こう」
宿泊先を探すなかで、たまたま隣の須崎市のお試し住宅に滞在することになり、その移住相談窓口を訪れたとき、運命的な出会いがありました。
「古民家ゲストハウスの、事業承継を考えてみませんか?」
それが、須崎市にある簡易旅館「ゲストハウス サンテ」でした。翌日見学に行くと、それは息をのむほど美しい、日本家屋の古民家でした。当時の経営者の方が高齢になり、良い引き受け手がいるなら手放したいとのこと。とはいえ、あまりに急な話で、その時は「具体化するのは難しいだろうな」と想いを残しながら東京へ帰りました。

ところが、それから数日後。
「5月末で手放すことになりました。仁科さん、どうしますか?」
突然の連絡でした。
他にも高知市の方など、地元に近い競合の買い手候補もいると聞き、高知に縁もゆかりもない私が引き受けるのは難しいだろうと半ば諦めていました。しかし検討の結果、私に譲っていただける話がまとまったのが、6月の頭でした。
5. 東京と高知、2つの拠点を往復する「実験的な暮らし」へ
譲渡が決まった6月頭といえば、東京ではエアコンクリーニングの超繁忙期の真っ只中です。
日中は東京でエアコンを分解し、夜間に須崎の方々とオンラインで連携しながら、名刺変更、OTA(宿泊予約サイト)の登録や編集を急ピッチで進める怒涛の日々。地元の皆さんの多大な協力のおかげで、7月頭に営業許可が下りました。
そして7月下旬、引っ越し荷物を車に詰め込んで高知へ移動し、7月31日に初めてのお客さんをお迎えしました。
こうして、私の「東京と高知の二拠点生活(デュアルライフ)」がスタートしました。
最後に:このnoteで伝えていきたいこと
毎月、東京の喧騒(機能でつながる都会)と、高知の温かくも濃密なコミュニティ(心でつながる地方)を往復していると、現代の日本が抱えるさまざまな「ボタンの掛け違い」が見えてきます。
満員電車で時間を切り売りし、間接的に「お金で解決する」都市の暮らし。
手間や時間はかかるけれど、顔の見える人間関係で「助け合う」地方の暮らし。
どちらが正解で、どちらが間違っているわけでもありません。ただ、この2つの世界を生きる私だからこそ、提起できる社会課題や、見せられる生き方の選択肢があるはずだと思っています。
このnoteでは、私自身の等身大の泥臭いチャレンジを交えながら、これからの「豊かな生き方とコミュニティのあり方」について発信していきます。
もし少しでも共感していただけたら、フォローやスキをいただけると励みになります。これから、どうぞよろしくお願いいたします!
