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わからないなりに受容する

難しい社員研修テーマ

学んだ知識から喜びを得ること、新たな機会を掴むことが私の生き甲斐だ。それを他者とも共有したくて人材育成を仕事に選んだのは自然な流れだった。1社目も2社目も大きな会社で、最前線で数々の研修の企画・実施に携わることができた。

1社目で主に担当していたのは受講者の業務に直結する技術・スキル研修で、進め方は明快だった。2社目、全社員対象のDEIB (Diversity, Equity, Inclusion and Belonging)推進は骨が折れた。経営層からは、期限までに受講率100%を達成するよう期待されている。現場ではそれをKPIとして、進捗を管理する。

扱われるテーマに日々向き合って来て、誰よりも深い理解と強い思い入れがある当事者もいた。だから、初めて学ぶ人はこのくらいまでわかれば十分と表面を撫でる程度で作られたコンテンツには、ステレオタイプ化の恐れがあると気づいた。1社目でもDEIB研修は展開されていたけれども、自分は単なる受講者で、他の社員がどう思っているかなどは意識したことがなかったのだ。

当事者は人生をかけて生き方を模索し続けているのだから、無関係な人が一度の研修で理解できてしまうような生易しいものではない。場合によっては、尊厳を踏みにじられたと考える当事者も出て来る。結果として、組織に分断や反発が生まれてしまう。

良き社会人であるための倫理観のアップデートは必要だ。しかし、全社必須研修でこんなデリケートなことまで踏み込んでいいの?という疑問はあった。ハラスメント防止というリスク管理の文脈だけで属性を扱うと、研修そのものが凶器になり得る。

心がけたいポイント

今は名刺にそう書かれていないだけで、人材育成も職務に含まれている。多様な人たちが集う職場作りに専念している今の私は、わからないものをわかってもらおうと働きかけるのではなく、わからないなりにも受容して生きていくことに主眼を置いている。もし再び研修の企画や講師をする立場になったら、過去の経験と現在の実践を元に以下を心がけたい。

人より行動に焦点を

当事者が軽んじられたと感じる最大の理由は、研修がたとえば「障害者とは」「LGBTとは」とステレオタイプを押しつける形になりがちだからだ。「こういう人がいる」という属性の解説よりも、同僚の困りごとに対して職場が合理的配慮を見つける対話の方法、土足でプライバシーに踏み込まないデリカシー、不適切発言があったときの対処方法を身につけるほうに焦点を置きたい。

複数の当事者のお墨つきコンテンツ

詳しい研修担当者がいるとか社内の当事者が協力してくれるから、と自社で内製すると、特定の人の個別事情がその属性全体の意見として埋め込まれ、別の当事者の反発を招くことがある。思い切って外部の当事者団体などが開発している研修プログラムを導入して、外部有識者の監修によって客観性と専門性を担保できたほうがよい。

統一よりグラデーションを

全社員向けの研修はコンパクトなeラーニングとし、深い対話をするワークショップはマネジメント層は原則として必須、メンバー層は希望者選択式と段階を分けると有効だ。また、受講率はわかりやすいのでKPIにされやすいが、真の狙いは研修後の職場での対話実施率やコンプライアンス意識調査のポジティブ変化率などのはず。質的アウトカムを指標に組み込むことについて経営層の理解が得られるとよい。

必須受講で追い詰めない

事務局では未受講者の洗い出しをして、上司に同報を入れてリマインドしたりする。強硬な催促はやらされ感を植えつけるし、「受講率を上げるのに必死だな」と冷めた視線を向けられる。「所要時間はほんの10分です」「アンケートを送信すれば完了です」などと添えたところで、テーマによっては受講を希望しない当事者もいる。「研修を受けて感じたことを周りの人と話し合ってみましょう」は何気ない一言だったとしても、話したくない人には恐怖でしかないだろう。これでは誰も幸せにならない。どうしても受講が難しい場合は個別配慮用の相談窓口を周知しておくのが望ましい。

研修テーマの境界線

個人の思想信条やプライベートな領域のあり方を会社が研修によって変えようとすると、必ず歪みが生まれる。啓発活動の狙いは、全社員が多様性を深く理解し、心から共感することではない。現実的なのは、お互いの属性や背景がどうであれプロフェッショナルとして尊重し合い、心理的安全性が保たれた状態で成果を出せる状態を実現することだ。

わからないなりに努力を続ける

研修講師や人材育成コンサルタントという肩書きを背負ってしまうと、どうしても「正解を教える」「わかるように説得する」「数値で成果を証明する」という使命を帯びやすい。しかし、障害や病気、性といった多様性は、教材や数時間の研修だけで理解できるほど単純なものではない。自分が善意で作ったコンテンツが当事者を傷つけ得ることも知った。

安易に「知ってる」「わかる」と言うこと自体が相手の本当の複雑さや痛みを切り捨ててしまう傲慢さになり得る。わからないという事実を誠実に抱えたまま常に触れて学び続け、共に働くために受容し合えるようでありたい。


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