隣の芝生はずっと青い
人をうらやむ気持ち。
おそらく、
誰の中にも、ある。
ただ、口に出さないだけだ。
保育園に行くと、いろんな家庭を目にする。
送迎は、
父だったり、母だったり。
祖父母だったり、両親そろってという日もある。
車も、本当にさまざまだ。
軽自動車。
ファミリーカー。
ときどき、高級車。
自転車の人もいれば、
家が近いのか、
ベビーカーや手押し三輪車、
ヒップシートで歩いてくる人もいる。
朝の短い時間に、
それぞれの生活が、
ほんの一瞬、並ぶ。
身なりを整えた人。
少し疲れた顔の人。
子どもに話しかけながら、笑っている人。
そのどれもが、
ちゃんとして見える。
だけど、
どの家庭にも悩みはある。
夫婦関係のこと。
育児のこと。
仕事のこと。
お金のこと。
人には言えない事情が、
ひとつやふたつ、あるのが普通だ。
うまくいっているように見える家にも、
笑顔が多いように見える家にも、
何も問題がないわけじゃない。
ただ、
見せていないだけ。
あるいは、
見せないように、踏ん張っているだけ。
隣の芝生が青く見えるのは、
その人が、上手に見せているからだ。
自分の弱さや、
迷いや、
つまずきを、
外に出さずにいるから。
青く見える芝生の下にも、
踏み固められた土があって、
枯れかけたところがあって、
何度も手入れした跡がある。
それは、外からは見えない。
私もときどき、
その青さに目を奪われる。
あの家は、大変そうに見えないな、とか。
ちゃんとしていて、いいな、とか。
だけど比べたところで、
何も変わらない。
私には、
私の芝生しかない。
ここで水をやって、
踏みしめて、
転びながら、
育てていくしかない。
人の芝生を眺めている時間より、
足元を見る時間を、少しだけ増やしたい。
青くなくてもいい。
まっすぐじゃなくてもいい。
ちゃんと、ここにある。
今日もこの場所で、生きている。
それだけで十分だと、そう思える日が、
少しずつ増えていけばいい。
隣の芝生は、これからもずっと、
青く見える。
だからといって、
自分の芝生が間違っているわけじゃない。
そう言い聞かせながら、
今日も子どもの手を引いて、保育園の門をくぐる。
