真の純真無垢
子どもを見ていると、
ときどき、はっとする。
この子は、
疑っていない。
言葉の意味が分からないとか、
考えていないとか、
そういうことではない。
疑う、という選択肢そのものが、
世界に存在していない。
ママが言ったことは、
そのまま、そうなのだ。
確認もしない。
比べもしない。
裏を取る必要もない。
それは、
信じている、というより、
前提に近い。
空は上にある。
朝は来る。
ママは、知っている。
その並びに、
何の違和感もない。
私は、
その確かさを前にすると、
少しだけ姿勢を正したくなる。
この子の世界は、
まだ、濁っていない。
疑うことで身を守る必要も、
距離を測る必要もない。
ただ、
そのまま受け取って、
そのまま信じている。
それは、
強さでもあり、
危うさでもある。
きっと、いつかは知る。
ママにも知らないことがあること。
言葉が間違うことがあること。
大人が万能ではないこと。
疑うという選択肢が、必要になる日が来る。
それは、成長だ。
でも、今はまだ。
この子は、世界を疑わずに生きている。
そのピュアさが、
清くて、
尊い。
私は、
この世界を壊さないように、
でも、
偽りで守らないように、
毎日を選んでいる。
知らないことは、知らないと言う。
分からないことは、一緒に考える。
それでも、
信じてくれる時間があるなら、
その信頼に恥じない人でいたい。
疑われない存在でいることは、
特別な才能じゃない。
日々の積み重ねだ。
今日もこの子は、
疑わない目で私を見る。
その視線の中に、
まだ、世界がそのまま残っている。
だから私は、
この感覚を、母の手帖に書いておく。
疑うという選択肢がまだ存在しない世界。
それは今だけの、
かけがえのない時間だ。
