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被爆者・被爆者運動の思想一「ノーモア」と「リメンバー」

かつて『学習の友』では、「憲法まちかど対話」(執筆は関西勤労者教育協会副会長、元全労連副議長の長尾ゆりさん)という、見開き2ページの連載読みものが掲載されていた。
憲一さんと法子さんが街角で対話するというかたちで、憲法についての興味深い話題を紹介するもので、好評を得ていた。

この連載のなかで、私がとくに印象に残っている回がある。
第6回となる2017年8月号の記事がそれだ。
「核兵器禁止へ、世界は大きく動いている一憲法前文」というタイトルで、そのころに締結された核兵器禁止条約のことが書かれている。

この文章のなかで、次のようなやりとりがある。

法子:……私は、被爆者が、「ふたたび被爆者をつくるな」と運動されてきたことがスゴイと思うの。
憲一:そうだね。「やられたらやり返せ」というような憎しみや報復ではなくて、「自分たちの苦しみは誰にも体験させてはならない」と、世界に訴え、それが世界を動かした。

このやりとりは、被爆者運動を支えてきた中心的思想を、簡潔ながら正しく表現している。

私は被爆2世である。
父親は長崎出身の被爆者だ。

小さいころ、家の書棚にあった『はだしのゲン』を読みはじめたことをきっかけに、父親から原爆や戦争の話がされるようになった。

《これは本当にあった話なんだ。実際、原爆は俺の頭のうえに落ちたんだ》

父のこの言葉は、いまも私の耳に焼きついて離れない。
ある程度、大きくなってきてから、父以外の被爆者の方々とも交流する機会が増えた。
私が現代史に関心をもつようになったのは、こうした成長過程での経験が大きく影響していることは、まちがいないだろう。

そんな父から、よく聞かされた言葉の1つに、こういうものがある。
「ノーモア」と「リメンバー」のちがいだ。

父の言葉として重く受け止めてきただけでなく、被爆者の方々や反核平和運動に携わる方々との若干の交流、また私自身が現代史研究に携わってきた実感としても、これは被爆者の思想、被爆者運動の思想の核心をなすものといってもいいくらい、とても重要なことだと考えている。

「ノーモア」とは、「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」の「ノーモア」、「リメンバー」は、「リメンバー・パールハーバー」の「リメンバー」だ。

「ノーモア」は、「もう2度と」「もうこれ以上」という意味だが、これにたいして「リメンバー」は、「覚えてろよ」という意味である。
「ノーモア」には、「くり返してはならない」という、反省なり教訓をふまえた高い思想性がうかがえる。
これにたいし「リメンバー」には、「いつか必ず仕返ししてやるからな」という臭いを感じる。

「ノーモア」にも、「覚えている」という側面はある。
しかしそれは、「2度とくり返さないために、記憶に止め、歴史の教訓としてきちんと胸に刻み込んでおく」という意味であり、「仕返し」=「報復」につながる「覚えてろよ」とは一線を画す。
また、言葉そのものからすれば、「ノーモア」にも「リメンバー」にも通底するものがあり、歴史を紐解けば「リメンバー・ヒロシマ」といういい方もあった。

「リメンバー」がダメで「ノーモア」ならよいという単純な話ではない。
問題となるのはその使い方だ。
つまり、アメリカが「リメンバー・パールハーバー」を報復の合言葉として使ってきたという事実こそが重要である。

「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな!)からの「報復」としての原爆投下。
言葉では説明がつかない地獄を味わってきたにもかかわらず、「報復」の拒否を選択した被爆者と被爆者運動。

ここには、自らの目先の野望のために、人の生命さえも平気で弄び、結局は滅びゆくしかない〝歴史の破壊者〟としての立場にこだわるか、それに毅然として立ちはだかり、傷つき、動揺しながらも、めげずにたちあがる〝歴史の創造者〟としての立場を維持しつづけるかという、人が人として生きていくうえでの本質的命題が突きつけられている。
私には、そのような気がしてならない。

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