中途半端な語学は旅行でどこまで役に立つのか
職場で海外旅行の話が出た。その人は「私は言葉が話せないから怖くて…。あなたは外国語が堪能だから良いね。」と言っていた。
「言葉が話せないから怖い」
この感覚に懐かしさを覚えた。
昔は確実にあったその感覚を忘れていたのは、旅慣れただけではなく、翻訳やインターネットの発達により、海外そのものが身近になったためだろう。
その人は
「あなたは外国語が堪能だから良い(怖がる必要がない)」
とも言った。(堪能かどうかは置いておくとして)
しかし、ある程度慣れはしても心理的な抵抗は持ち続けている。
海外旅行での言葉の不自由に対して取る方法
①ガイド、通訳をつける
お金があるのであれば一番手っ取り早く、安全な方法なのかもしれない。
しかし、私はせっかくの海外旅行で主導権を奪われているようで好きではない。どうも仕事で来ているような気分になってしまう。
②日本語とジェスチャーで押し通す
これは私の妻がやっている方法だ。多少なり外国語を話す私より話しがずっとスムーズだし、頼もしい。
あれを見ていると、海外旅行のために語学を学ぶのは無意味ではないか?と錯覚してしまう。
③スマホに頼る
「今はスマホで全部翻訳できるから」
そんな声もよく聞く。わからなくもない。
しかし、
スマホを取り出し、翻訳を吹き込み、相手に見せ、相手に吹き込んでもらい、翻訳を見る
毎回これをやるのは、意外に手間も時間もかかる。充電切れや盗難時の事もある。
一言話せるだけで、細かい面倒をかなり省略出来るようになるので、「学習は不要」というのは言い過ぎだと思う。
④行く前に学ぶ
旅行は準備期間が一番楽しい。私はその考えに賛成だ。語学学習も、大切な旅行の準備の一つだ。この時期に学ぶとモチベーションが保ちやすく、伸びやすい。
それに、一度身についてしまえば、帰った後の財産にもなる。
私の場合はろくに会話練習をしたり、先生をつけたりするのとは違う。私の語学との向き合い方はどこか中途半端だ。
その中途半端な語学はどこまで通用するのだろうか。
中途半端な語学をやっていて良かったこと
①歓迎される
時々、現地の店員が見るからに「うわ、外国人だ」と構えていることがある。そこに相手の母語で話しかけると、表情が一気に緩む。
上手く話す必要はない。むしろ、カタコトだからこそ、一生懸命感が出て歓迎されているのかも知れない。
きっと、ネイティブ並みに上手ければ「仕事で来ている人かな?」と思われるだろう。
②細かい手間が減る
語学が出来ると高度なやり取りができるという印象を持ちがちだが、旅行会話の場合はもう少し地味な役立ち方をする。
「これ、読める」
「聞き取れた」
「これぐらいなら言える」
そんな瞬間が、コミュニケーションに費やす時間を短縮し、円滑にしてくれる。
数ヶ月から数年を費やして「数秒間の短縮ができたぞ」と言うのもどうかと思うが……。
③街を歩きやすくなる
これは非英語圏に行くと実感するが、看板を読めるか読めないかで、街の歩きやすさが変わる。
インドの駅で、行き先の表示が英語とヒンディー語で交互に切り替わる。文字さえ読めれば「またヒンディー語になっちゃった!」と煩わしい思いをしなくて済むし、見慣れない文字がむしろ楽しみに変わる。
まあ、ここでも、短縮できるのはほんの数秒に過ぎないのだが……。
④拾える情報が広がる
朝、ホテルでテレビをつけてローカルの番組を見るという楽しみが生まれる。天気予報を見られるのも大きい。
アジア圏に行くと、よく妻とチャンネル争いになる。
「コラッ!なんでチャンネル変えるんだよ!ここまで来てNHKなんか見たくないよ!」
この時ばかりは、怒る。
街に出れば、人々の何気ない会話が聞こえてきて、旅の目的地との心の距離がグッと近づいた気分になる。
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中途半端な語学があれば、旅行中の小さな主導権を握ることができる。
なので、毎回海外旅行の時だけは、周りが私をちょっとだけ頼ってくれる。
一方で、どれだけ自分なりに努力しても、どうにもならない場面が毎回出てくる。
中途半端な語学では出来ないこと
①込み入った話
最初の一言がうまく発音できると、「この人はわかるんだ」と判断されて、込み入った情報をくれることがある。残念ながらそこまでくると理解できなくなってしまうことが多い。
悔しいが、ここから先は翻訳アプリの出番だ。
②雑談
海外旅行先で友達ができれば…と考えたことはある。しかし、雑談になると難易度が一気に上がる。何を話すのか予測が全くつかないからだ。
ここから先は語学力だけの問題ではなくなる。
③話す時の緊張感
「あなた話せるでしょう?怖いから聞いてきてよ。」
同行者からこのようによく言われる。
聞き出すことは出来るかもしれないが、私だって怖いものは怖い。
そういえば、日本にいても店員さんを呼ぶのをよく躊躇してしまう…
④レストランのメニュー
名物メニューや、使われている素材ぐらいならわかることが多い。
しかし、同行者から端の方に載っているメニューを指さして「これ何?」と言われてもほぼ答えられない。これは専門の勉強が必要になる。
⑤トラブル対応
私が海外旅行の時に言葉を熱心に学ぶようになったのは、ベテラン旅行者の旅行記で以下のエピソードを読んだことが大きい。
中南米を旅行している時、銃を突きつけられた。
「財布を出せ。10秒以内にカードの暗証番号を言え。」
彼はスペイン語が出来たので、カードの暗証番号を言えた。
しかし、今ならわかる。
私なら、たとえ練習していたとしても、ズドンと撃たれて終わりだろう。
私の中途半端な語学は平時では役に立っても、緊急時には真っ白になって使えなくなってしまう。
私だって中途半端でいたかったわけではなかった
小粋なことを言って現地の人の心を掴み、トラブルも巧みに切り抜ける。
そんなカッコいい理想を抱えてはみるものの、現実はいつも泥臭くなってしまう。
結局ジェスチャーにばかり頼ったり
一つの知っている単語を連呼したり
「今回もカッコ悪かったなぁ…」
帰りの飛行機で旅行を振り返り、いつもそんなことを考えている気がする。
「なら、中途半端じゃなくて、ちゃんと先生をつけるなり、実践練習をするなり、すればいいんじゃない?」
そのような正論は、何度も自問自答し続けた。
それでも本気で取り組まなかった理由を考えてみた。
たぶん以下の二つだ。
①練習の段階でカッコ悪さに向き合うのは嫌だ。
留学や仕事ではなく、旅行なのだから夢を見たい。一番ワクワクする旅行の準備の段階で、自分のカッコ悪さに向き合うのは嫌なのである。
それに、旅行の同行者に必死なところを見られたくない。
「全然勉強してない」と言いつつテストで高得点を取りたい中高生のメンタリティによく似ていると思う。
②単純に旅行のためだけに高いレッスン料を払いたくない。
費用対効果を考えると、カタコト+翻訳アプリぐらいがちょうどいいのではないだろうか。
便利さは欲しい。でも、通訳やガイドに旅行の主導権を取られたくはない。
その中間をとった結果が、中途半端な語学なのだと思う。
だから、冒頭の
「あなたは外国語が堪能で良いね」と言う言葉には
「いいえ、全然なんですよ。」
と、謙遜も嫌味もなく、本音で答えた。
それでも、語学を学ぶ理由
たかが旅行だとわかっていても、泥臭く終わるとわかっていても、これからも語学はやり続けると思う。
カッコよく外国語を使う理想だけは持ち続けていたいからだ。
ただフランス語の本を読んでいるのと、旅行先が決まった後でフランス語の本を読むのは全然違う。
これは何度経験しても変わることはない。
妻は「歳を取ったらガイドさんに連れてってもらうぐらいがちょうどいいのかもね」なんて言っている。
「そんなもの必要ない!俺についてこい!」
例え虚勢でも、堂々とそう言いたい。
