日本はいつから「安売りの国」に成り下がったのか――思考停止の「おもてなし」
東京オリンピックの招致から何年が経っただろうか。「おもてなし」という言葉が流行語となり、独り歩きを始めたあの日から、この国の歯車が狂い始めたように思えてならない。
かつての高潔な精神はどこへ行ったのか。いま、この国で「おもてなし」と称されているものの正体は、かつて昭和の時代に揶揄された「お客様は神様です」の焼き直しに過ぎないのではないか。
あらゆる駅や公共交通機関に溢れかえる多言語の案内と、絶え間ないアナウンス。それが「親切」だと信じて疑わない光景に、私は違和感を覚える。
「安く、わかりやすく、間違いを正さない」――。 これは「おもてなし」ではない。単なる「迎合」だ。
言葉も通じず、地図を片手に途方に暮れ、時にはその土地のルールに戸惑う。その不自由さ、異質感こそが「旅」の醍醐味ではないのか。効率とわかりやすさを追求するあまり、我々は日本という街の輪郭を、自らの手で塗りつぶしてはいないだろうか。
先日、日本人の「鉄道離れ」がニュースになった。その要因の一つが、外国人観光客向けの乗り放題パス(ジャパン・レール・パス)の優遇措置だという。自国民には到底手が届かない安価でインフラを開放し、結果として混雑を招き、自国民の利便性を損なう。本末転倒とはこのことだ。
インバウンドという経済効果をありがたがるあまり、我々は「文化の切り売り」を始めていないか。異文化と共生することに異論はない。しかし、相手を「お客様」として甘やかすあまり、自国の矜持まで捨て去る必要があるのだろうか。
そもそも、招致の際に掲げられた「おもてなし」を問い直すべきだ。 今のオリンピックは、もはや純粋なスポーツや平和の祭典ではない。莫大な利権が絡む巨大な商業イベントである。そんな不純な舞台で掲げられた言葉を、いつまで金科玉条のように守り続けるつもりか。
「日本人は親切だ」と褒めそやされ、悦に入っている場合ではない。親切という名の過剰サービスを垂れ流し続けた結果、日本は「世界一安い国」と呼ばれるまでになった。
最後に、治安の現場にも苦言を呈したい。 文化やルールを尊重しない者に対してまで「おもてなし」の精神で接する必要はない。警察組織も、毅然とした対応を見せてほしい。この国が「世界一安い国」だけでなく、「世界一警察がゆるい国」として、ルール無用の観光客に舐められるような事態だけは避けなければならない。
言葉も知らない異邦人が、少しの緊張感を持って足を踏み入れる。そんな「誇り高い国」としての日本を取り戻すべきではないか。勘違いの「おもてなし」は、もう終わりにしよう。
