子どもたちに見せたい私の生きる道-まちの看護師への道のり-
私にとって
看護師という仕事は生き甲斐そのものだった。
交通事故に遭っても、
この気持ちは変わらなかった。
痛みがあっても、
「まだ頑張れる」「まだ頑張れる」と
口で言い、耳で言い聞かせ、
必死に働き続けてきた。
でも、当時、
子どもたちの目には、
“頑張るママ”ではなく、
“ずっと辛そうなママ”が映っていた。
「ママの頸、早く治ってほしい。」
「そんなに辛いのに、どうして仕事を頑張るの?」
その言葉に、私はハッとした。
退職してから気づいた。
今は、まちの看護師として、
新しい道を歩み始めている。
子どもたちに見せたいのは、
“辛そうなママ”ではなく、
“笑顔で私らしく歩む”の姿——。
これは、そんな私のノンフィクションの一部。
交通事故と子どもたちの言葉
私が、交通事故にあった頃、
子供達は小1、小6だった。
ある日、当時小1の次男は、私に
『ママの頸早く良くなってほしい。
だってすごくつらそうだから。』
と言った。
小6の長男は、
『なんでそんなに辛いのに仕事頑張るの?
ちゃんと休まないと、
それも、短期的ではなく、
長期的に休まないとダメなのに。』と、
言葉をかけてくれた。
交通事故にあってから、
私は痛みと闘いながらも
必死に仕事を続けて来た。
看護師という仕事が好きで、
簡単に手放せるものではなかった。
でも、子どもたちの言葉で
私が子どもたちに見せていた姿は、
辛い姿だったんだと、ハッとした。
気づいたのは退職を決断した頃だった。
交通事故から1年4ヶ月たっていた。
必死に働き続けていた日々
交通事故の後遺症で、
辛く、痛みがひどい状況でも、
休職は繰り返すが、夜勤もしていた状況だった。
ちょうど1年前私は夜勤をまだしていた。
休職しても治る見込みはないと思い込んでいたため、休職する決断がなかなか出来ず、
当時は、退職なんてもっと考えられなかった。
交通事故にあって翌月
小学校6年生の長男の小学校最後の運動会があった。
大切な瞬間を見ることができなかった。
私は、
交通事故の後遺症が辛すぎて、
寝込んでしまっていた。
身体を大事にして、休職を決断できていたら、
子どもの頑張る姿を見ることができていた。
後悔がないわけじゃない。
でも、当時の私には、どうしても決断ができなかった。
退職の決断
交通事故から、
1年4ヶ月。ついに退職の決断ができた。
退職すると、子どもたちは、
安心した表情で、
『ママゆっくり休んでね。短期じゃないよ。
長くだよ。』と言った。
でも、ここから、
わたしは、
『このままでいいのかな?』
『身体は休めないといけない。』
『今の私にもできることってなんだろう。』
新しい道を探し始める。
まちの看護師としての挑戦
今の私にできることを見つけ、
まちの看護師として活動し始めている今、
少しずつ、少しずつ形になってきている。
ある朝、夫が長男に言った。
『ママを見てみなさい。
常に考えて行動しているから、
次から次へとやることが出てくるんだよ。』
交通事故にあってからは
痛みで、
もがき苦しんでいる姿をたくさん見せて来た。
でも今は、"挑戦する姿"を見せることができていることに気づいた。
病院では、看護師として働けないけど、
まちの看護師として挑戦する姿を子どもたちに
見せれていることに気づいた。

これからの未来へ
まだ、まちの看護師としては活動し
始めたばかり、
でも確実に前に前進している。
交通事故にあい後遺症が辛いママではなく、
笑顔で私らしく歩むママの姿を見せていきたいなと思った。
最後に
『あなたは、どんな姿を大切な人に見せたいですか?』
私は、必死に看護師の仕事を頑張ることが
全てだと思ってました。
でも今だから思うこと、
それは、
『私らしく笑顔で生きること』が子どもたち、
家族にとって1番の安心につながるなぁと
気づきました。
誰かのために頑張るのも大切。
やりたいことを諦めないことも大切。
でも、
自分を大切にしながら進むことが1番大切だと
交通事故の経験から学びました。
あなたは今どんな道を歩いていますか?
長くなりました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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