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幼少期の思い込み

私たちは、幼いころに世界の見方を身につける。
その、無意識の前提のようなものを「観念」と呼ぶのだと思う。

幼い子どもは、自分の置かれた環境をそのまま世界の姿として受け取る。
まだ判断力がないため、「これは一時的なものだ」とか「特殊な状況だ」とは考えられない。
だから、体験はそのまま人生の真理として心に刻まれる。

私の場合、その観念はネガティブなものだった。
人生とは、つらいもの。苦しいもの。耐えるもの。
楽しさや安心は例外で、基本は我慢なのだ、という前提が無意識にできあがっていた。

この思い込みは、長いあいだ私の行動を支配していた。
うまくいかない出来事が起きると、「やっぱり人生は苦しいものだ」と感じ、
うまくいった出来事があっても、「たまたま」「すぐに悪くなる」と打ち消してしまう。
そして、少しずつ自己否定が強くなっていった。

「自分が悪いから苦しい人生になる」
そう考えるようになり、心の緊張は慢性的になっていった。
振り返れば、この認識の歪みが、精神疾患の発病の引き金のひとつだったのだと思う。

しかし、回復期に入ってから、大きな変化が起きた。
あるとき、内側の感覚がふっと軽くなり、世界の見え方が変わった。

人生は、苦しみが本質なのではない。
むしろ、本来は楽しいものであり、素晴らしいものなのではないか。
そう感じるようになった。

観念が変わると、現実の見え方が変わる。
人の脳は、自分が信じていることの証拠を集めようとする性質がある。
心理学ではこれを「確証バイアス」という。

以前は、人生がつらい証拠ばかりを集めていた。
小さな失敗、人の何気ない言葉、体調の悪さ――
それらすべてが「ほら、やっぱり苦しい」という材料になっていた。

ところが観念がポジティブになると、同じ世界でも違うものが見え始める。
天気のよい朝の空気、仕事が終わったあとの安堵感、誰かのさりげない親切。
今度はそれらが「人生は悪くない」という証拠として積み重なっていく。

世界が変わったのではない。
見ている前提が変わったのだと思う。

ネガティブな観念を持っていたころ、私の人生の目的地は不幸に設定されていた。
どこへ進んでも、最後は「やはり苦しい」という結論にたどり着いていた。

けれど今は違う。
観念がポジティブに書き換わったことで、人生の目的地が「しあわせ」に設定された感覚がある。
同じ道を歩いていても、向かう先が変わると、道の意味そのものが変わる。

現在の私は、はっきりと感じている。
人生は、思っていたほど過酷なものではなかった。
むしろ、味わい、発見し、少しずつ理解していく過程そのものが、すでに豊かな体験だったのだと。

観念が変わると、世界は静かに変わりはじめる。
そしてその変化は、外側ではなく、いつも心の内側から起きているのだと思う。

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