こんにちは、クローズ就労中の野田夏広です。
今回は、母親から受けた「刷り込み」と「洗脳」が、どれほど長いあいだ私の人生を縛ってきたのか。そして、最近になってようやく実感できるようになってきた“安全・安心”について書こうと思います。
私の母親は、幼いころから一貫してこう言い続けました。
「他人はお前の命を狙っている」
まるで呪文のように、何度も何度も繰り返し聞かされました。
子どもにとって、親の言葉は絶対です。疑うという発想すらありません。
その結果、私は「この世界は危険だ」「他人は敵だ」という前提で生きるしかありませんでした。
道ですれ違う人、職場の人、電車の中の誰も、すべて“潜在的な敵”。
そう思いこむほど、母親の刷り込みは強烈でした。
その恐怖感は、大人になっても消えることはありませんでした。
職場の人間関係は常に緊張状態で、他人の視線が刺さるように感じる。
頼りにできる相手など誰一人としていない。
対人恐怖は、私の生活のすみずみにまで入り込み、人生そのものを支配していました。
母親が亡くなってから10年が経ちました。
でも、恐怖の感覚はすぐには消えませんでした。
刷り込みは、母親がいなくなったら消える、そんな単純なものではなかったのです。
むしろ、身体の深いところにこびりついていて、
「他人は危険ではない」という事実が、頭では理解できても、なかなか“腑に落ちない”。
その感覚のズレが、とても苦しかった。
しかし最近になって、少しずつ変化が生まれてきました。
他人と接しても、以前ほど身構えない。
心臓がバクバクしない日も増えてきた。
相手の言葉を深読みして、「攻撃される」と感じることが減ってきた。
ようやく、母親の洗脳が薄れてきたのだと思います。
言葉にするとシンプルですが、ここに至るまでに何十年もかかりました。
改めて振り返ると、私は「安心」を知らないまま大人になりました。
家の中に安全はなく、心休まる場所はどこにもなかった。
他人が全員敵だと思っていたから、頼れる人もいない。
常に緊張し、常に恐怖を抱えたまま生きてきたのです。
正直に言います。
母親は、本当に迷惑な人でした。
その影響はいまも私の人生に残っています。
でも、そんな私でも、少しずつ“安心”を手に入れようとしています。
人と話す時に、ほんの少し肩の力を抜けるようになった。
仕事で助けてもらったとき、「ありがとう」と素直に思える日がある。
世界が以前ほど敵だらけには見えない。
安全や安心は、ある日突然やってくるものではないと思います。
少しずつ、じわじわと、染み込んでくるようなもの。
母親が亡くなって10年。
私はやっと、恐怖でなく“安心を基準に生きる世界”に足を踏み入れようとしています。
ここから先の人生は、刷り込みではなく、私自身の感覚で歩いていきたいと思います。
