自我が潰れていた
こんにちは、クローズ就労中の野田夏広です。
今回は、「自我が潰れていた」というテーマで、自分のこれまでを振り返って書いてみたいと思います。
私は長いあいだ、母親に精神的に呑み込まれて生きてきました。身体は確かに母のもとから離れて成長していましたが、心の中では、母の存在があまりにも大きく、自分という輪郭を持つことができませんでした。
自我、つまり「自分の意思」や「自分はどうしたいのか」という感覚が、ほとんどなかったのです。何かを選ぶときも、判断の基準は常に自分の内側ではなく、外側にありました。母の評価、周囲の評価、他人からどう見られるか。それらがすべてで、自分の気持ちは後回しでした。
外部の評価に翻弄され、振り回されて生きていました。褒められれば少し安心し、否定されれば一気に自分の存在価値が揺らぐ。そんな不安定な状態を、当たり前のように続けていました。
「やりたいことは?」と聞かれても、答えはありませんでした。そもそも、やりたいことを感じる余地がなかったのだと思います。その代わりに、他人から求められることには、自己犠牲的なまでに過剰に反応していました。断るという選択肢はなく、期待に応えられない自分は存在してはいけない、そんな感覚すらありました。
その結果、心は常に限界状態でした。些細な一言や出来事で、簡単に心が折れ、メンタル的に潰れてしまう。自分では踏ん張っているつもりでも、内側はすでにボロボロだったのだと思います。
今にして思えば、そこまでして頑張るくらいなら、何もしないで引きこもっていたほうが、まだ自分を守れたのではないか、と思うこともあります。社会に適応しようとして、必死にもがいた結果、自分から潰れに行ってしまったような感覚があります。
それは自滅だったのかもしれません。振り返ると、愚かだったと思う気持ちも正直あります。ただ、当時の自分にとっては、そうするしかなかったのも事実です。自分を持たないまま生き延びるために、他人の期待に応えることだけが、生存戦略だったのだと思います。
今は少しずつ、自分の内側に目を向けられるようになってきました。何が好きで、何が嫌なのか。すぐには分からなくても、感じようとすること自体が、以前の自分とは大きく違います。
自我が潰れていた過去は消えません。でも、その経験があったからこそ、今は「自分を取り戻す」というテーマに、真剣に向き合えています。これからは、外部の評価だけに振り回される生き方ではなく、たとえ小さくても、自分の意思を軸にした人生を、ゆっくりと築いていきたいと思います。
