クローズ就労~親離れと子離れのすれ違い
こんにちは。
わたしはクローズ就労をしている「クロー人(くろうにん)」です。 職場では元気そうにふるまっているけれど、本当はまだまだ、心の回復途中です。
わたしは「親離れ」をしようとした人間です。
けれども、残念ながら、わたしの親は「子離れ」ができない人でした。
結果的に、わたしの「親離れ」の試みは、親の強い執着や支配のようなものに押しつぶされてしまいました。
大人になっても、わたしの人生は親の感情や価値観に縛られ続け、呼吸が浅くなるような息苦しさの中で生きてきたように思います。
一般的に「子離れ」とはどういうものでしょうか。
子どもが反抗期を迎えるのは、単なる反抗心の表れではなく、親から自立していくための自然なプロセスです。
そしてその時期は、親にとっても大切な通過点になります。
「子どもは親の思い通りにならない」
「子どもは所有物ではない」
「この子にはこの子の人生があり、私は私の人生を歩むべきだ」
そうした気づきに直面するのが、反抗期なのだと思います。
親がその時期にきちんと「がっかり」し、そして「手放すこと」を学ぶことで、子どもへの過度な執着を降ろすことができる。
つまり、反抗期は子どもにとっても、親にとっても「自立への関門」なのです。
しかし、わたしの親はその関門を越えることができませんでした。
いつまでも子どもを自分の影の中に置きたがり、手を放そうとしない。
そのため、わたしがどんなに距離を取ろうとしても、結局は引き戻されてしまったのです。
それは「愛情」という言葉で包まれたものの、実際には「支配」であり「依存」でした。
親の目の前で自由に呼吸することすら難しく、わたしは「自分の人生」を生きている感覚を持てずにいました。
そして時が流れ、親が亡くなって十年。
ようやく、遅ればせながら「親離れ」が始まりました。
もちろん、もっと早く自由になりたかったという思いはあります。
けれども、人には人のペースがあります。
親が生きている間はどうしても解けなかった結び目が、死という事実をきっかけに、少しずつほどけていくこともあるのだと思います。
親離れとは、親の死を待つことではありません。
本来は、親子がともに成長するなかで自然に訪れるものです。
けれども、そのプロセスに失敗してしまった場合、残された子どもは長く苦しむことになります。
それでも――遅くても、やり直しは可能だと、今の自分は感じています。
たとえ親がもういなくても、自分の内側にある「親の影」と向き合いながら、「自分の人生を生きる」練習を始められるのです。
親離れと子離れは、親子にとっての大きなテーマです。
どちらか一方だけが進んでしまうと、もう一方は強い痛みを抱えることになる。
そのすれ違いの中で、わたしも長い間迷い、苦しんできました。
けれど、今こうして少しずつ「わたしの時間」を取り戻せていることが、ささやかな希望です。
自分の人生を、自分の足で歩んでいいんだ――そう思えるようになっただけでも、回復の一歩だと信じています。
以上、本日のクロー人のつぶやきでした。
