第4回記事:優しさとは何か
こんにちは。
わたしはクローズ就労をしている「クロー人(くろうにん)」です。
職場では元気そうにふるまっているけれど、本当はまだまだ、心の回復途中です。
■ 偽りの優しさを受けてきた日々
これまでの話の中で、母の支配や過保護、周囲からの敬遠、そして姉からの切り捨てについて触れてきました。
共通していたのは、「表面上の優しさ」と「本当の心の距離」とのギャップでした。
私は長い間、そのギャップに翻弄されてきました。
笑顔で話しかけられても、言葉の端々に本心がにじむ。
親切にしてもらっても、その裏に打算がある。
そうした体験を重ねるうちに、「優しさ」というもの自体を疑うようになっていったのです。
■ 優しさとは何だろう
では、本当の優しさとは何でしょうか。
私が思うに、優しさとは「相手を自分の都合で操作しないこと」だと思います。
助けることで自分が安心したい、褒めることで自分が良く思われたい──そんな動機から出る行為は、一見優しそうに見えても、相手のためではありません。
本当の優しさは、相手の存在をそのまま受け止めること。
相手が弱さを見せても、失敗しても、「それでもあなたはあなたでいい」と寄り添えること。
そこには損得や支配がなく、ただ「一緒にいる」という安心感があるはずです。
■ 優しさに潜む支配
一方で、世の中には「優しさの仮面をかぶった支配」も存在します。
例えば、母のように「あなたのためを思って」と言いながら、実際は自分の思い通りにさせようとする。
それは相手を弱者に固定し、依存させる優しさです。
そのような優しさは、受け取る側を無力にし、自由を奪います。
一見温かい言葉に包まれていても、その奥にあるのは「コントロール欲」なのです。
■ 本物の優しさに出会ったとき
幸いなことに、私は大人になってから、少しずつ「本物の優しさ」に触れることができました。
それは、何か特別なことをしてくれる人ではありません。
ただ、私の話を遮らずに聞いてくれる人。
できないことを責めずに、「できることを一緒に見つけよう」と言ってくれる人。
そのとき私は、「ああ、これが支配でも打算でもない優しさなんだ」と胸がほどけるような感覚を覚えました。
■ 優しさを見極めるために
今の私は、優しさを受け取るときに「それは私を自由にするか、それとも縛るか」を基準に考えるようにしています。
自由にする優しさは、心を軽くし、自分の可能性を広げてくれる。
縛る優しさは、心を重くし、自分を否定する方向へと導いてしまう。
その見極めができるようになったことで、私は少しずつ「人を信じる力」を取り戻し始めています。
次回は最終回。
偽りの優しさに振り回されないために、私がどんなふうに境界線をつくり、自分を守ろうとしているのかをお話ししたいと思います。
以上、本日のクロー人のつぶやきでした。
