戦争の道具として生きていた
こんにちは。
今日は、私の子ども時代の記憶を整理していく中で、ようやく言葉になった感覚について書いてみます。
私は母親に、恐怖で支配されて育ちました。
殴られた記憶が強烈にあるわけではありません。けれども、もっと根深いものがありました。
それは、潜在意識に植え付けられた「命の危険」を感じるほどの恐怖です。
教育熱心な母でした。
いわゆる教育ママです。
子どもに期待をかける親は多いと思います。しかし、私が感じていたものは「期待」ではありませんでした。
進学校に進めなければ大変なことになる。
その「大変なこと」は、叱られる程度のものではなく、私の中では「命を奪われるかもしれない」という感覚にまで膨れ上がっていました。
もちろん、実際に命を奪われるわけではありません。
頭では分かっています。
それでも子どもの私は、本気でそう信じていました。
だから、自分の考えや気持ちは消えていきました。
やりたいこと、嫌なこと、疲れ、遊びたい気持ち――そうしたものを感じる余裕はありませんでした。
ただ、恐怖だけがありました。
「勉強しなければ危ない」
「失敗したら終わる」
そんな感覚の中で受験勉強をしていました。
振り返ると、あれは勉強ではありませんでした。
生存行動でした。
命を守るための行動です。
命の危険を感じながら生活する状態は、強い精神的ストレスになります。
私は長いあいだ、その状態で生きていました。
安心して眠る、安心して休む、安心してぼんやりする。そういった時間がありませんでした。
最近になって、ある比喩がしっくりきました。
私は、戦場にいたのだと思います。
家庭の中にいながら、心は戦場にありました。
敵は目に見えません。けれど確実に存在していました。
それは母親が恐れていた「世間様」です。
母は、世間に負けてはいけないと信じていたのだと思います。
良い学校、良い評価、立派な子ども。
それらを守るために、常に何かと戦っていました。
しかし、その戦争に私は志願したわけではありません。
気づいたときには、最前線に立たされていました。
私は、母の戦争の「兵士」だったのだと思います。
そして同時に、「道具」でもありました。
母は私を通して、世間と戦っていた。
私は自分の人生を生きていたのではなく、母の不安や恐怖を背負って生きていたのです。
このことに気づいたとき、少しだけ理解できました。
なぜ私は長いあいだ、生きることに疲れていたのか。
なぜ理由もなく、いつも緊張していたのか。
私は人生を生きていたのではなく、ずっと「戦っていた」のです。
そして、ようやく思います。
本当は、戦う必要はなかったのだと。
私は、戦争の道具ではなく、ただの一人の人間として生きていいのだと思い始めています。
