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M•A•Cのギャル兄さんにレリゴーさせてもらったレズビアン

もう10年近く前のことだろうか。新卒の私は、目も当てられないくらい、くたびれていた。

美容院に行く気力もないので、前髪だけ自分で切り続けていた。気づけばどんどん前髪は短くなるのに、毛量だけは増えていく。そんな不思議な現象が、私の頭の上で起きていた。

18時頃、オフィスで夕食をとって仕事に戻ると、気づけば翌日になっている。そしてまたコンビニに行く。ご飯を買う。オフィスで食べる。もうそれは夕食なのか、夜食なのか、朝食なのか分からない。私と同僚は、その所在不明の食事を「晩々ご飯」と呼んでいた。

みんな、どの時間に生きているのか見失っていた。

相当、ぼーっと暮らしていたのだろう。迎えた高校のクラス会の日、私はメイクもせずに家を出てしまった。

メイクといっても、大したものは持っていない。せいぜい100均か、お母さんのお下がりくらいしか、持ち合わせはない。

ボーイッシュな、いや、ノンケのボーイッシュではなく、「レズビアンのボーイッシュ」の私は、当時、メイクがあまり好きではなかった。楽しめるものではない。自己表現できるものでもない。社会に出る女の、最低限のマナー。私にとってのメイクは、そんな感じだった。

でも、本当は少し違ったのかもしれない。私は、メイクが好きではないというよりも、メイクをしたときに、「女として評価される感じ」が、苦手だったのだと思う。かわいいかどうか。愛されるかどうか。そういう評価の中に自分が置かれる感じが、居心地悪かったのだ。

でも、どうしよう。さすがに、みんな綺麗にしてくるだろうし、何かしないとまずい。

そう思って街を歩いていたとき、目に入ったのが、メイクアップブランド、M•A•Cだった。正直、場違いな気がしたけれど、背に腹は代えられない。ええい、ままよ。最悪、リップだけ試して逃げればよい。そう思って店舗に入った私は、完全に圧倒された。赤って、たぶん500色ある。

「迷いますよね〜」

顔を上げると、バッチバチにメイクした男性の店員さんが声をかけてくれたことに気づいた。その方の性自認は不明だけど、ここでは、「ギャル兄さん」と呼ばせていただく。爪の先まで美しいネイルに、素人目にもわかる華麗なメイクアップ。二言ほど交わして、その人の腹の底にいるのは、ギャルだとわかった。

私はすがる思いで、正直に話した。

「何が似合うのか分からなくて、ほとんど持ってないんです。かわいい感じが、ちょっと苦手で…」

すると、ギャル兄さんは、間を置かずに言った。

「じゃあ、思いっきりかっこよくしちゃいましょう!」

その言い方があまりに迷いなくて、ああ、この人には、余計な説明はいらないんだな、と思った。彼がクィアなのかどうかは分からない。でも、ときどきこういう、理由を話さなくても通じる感じに、私はとても救われる。

同じボーイッシュなレズビアンの友達から、よく聞く話がある。美容院で、「短く、かっこよくしてください」とお願いしたのに、「男の子っぽくなりすぎるとモテないよ」とかなんとかお節介を言われて、気づけば、かわいいボブに仕上がっていた、という話だ。

そういうことじゃないんだよ。

あの、説明しても通じない感じ。その空気はまったくなかった。

素早くメイク道具をセレクトしていくギャル兄さん。この人に任せれば大丈夫かもしれない。そんな予感に乗せられて、あれよあれよと言うままに、私はタッチアップ用の椅子に座っていた。

くすんだ肌に、粉をひと刷けしただけで、顔がぱっと明るくなる。まぶたには、玉虫色の光。戸惑う間もなく、目元は宇宙みたいに深く複雑に、どこまでも色が変わっていく。唇には、半分ずつ違う色をのせてくれた。そして、何色か試して出会った、マットなリップ。その手捌きと、目の前で変わっていく自分に、私は少しずつ引き込まれていった。

「これ、好きかもです」

「いいですよね〜。僕も持ってます。それが好きでしたら…こっちもいいかも」

その時間、私はずっとメイクと仲直りしていたのかもしれない。メイクは、かわいいもの。男性に好かれるためにするもの。中学生の頃に読んだ雑誌の価値観が、ずっと頭のどこかに残っていた。でも、タッチアップを終えた顔を鏡で見た瞬間、私は思った。

強い。

私史上、いちばん強い。「かわいい」の象徴であるはずのメイクをしているのに、強い。気がつくと、頭の中では、エルサが「レリゴー」を歌い始めていた。

♪これでいいの 自分を好きになって
これでいいの 自分信じて
光あびながら 歩きだそう 少しも寒くないわ

そのままの自分を解放するエルサは、これまでの期待された役割から解き放たれて、自由になる。これはかなりクィアな表現だと言われているが、物語の中ではなく、実際に私はそれを体験してしまったのだ。このギャル兄さんに、レリゴーさせられてしまったのだ。

当時の価格で、トータル3万円くらいだっただろうか。私はタッチアップで使ったものをすべて買った。化粧筆まで全部。こんなに気持ちいい買い物は、生まれて初めてだった。

ギャル兄さんは言った。

「メイク、楽しんでくださいね!」

「はい!ありがとうございます。」

その日、私は自撮りを100枚撮った。ギャル兄さんと約束した通り、もう、楽しんでいた。クラス会でも、いつもよりたくさん写真を撮った。残しておきたいと思える自分に出会えたからだ。

あれから一度もギャル兄さんとはお会いしていないけれど、今もどこかで、メイクにゲンナリしているクィアを、氷の城へと送り込んでいるのかもしれない。

先行したイメージがあって、飛び込みづらい分野というのは、誰にでもある。メイクは女性らしいもの。だから私には関係ない、らしくない。でも、そんなことを決めつけられるほど、私はまだ、自分のことを知らなかったのだと思う。

きっと、何歳になっても、新しい扉は開く。

その扉の先にいる30代の私はというと、あのときから少しずつ自分のものになったメイクが、いまではすっかり好きになっている。今でもM•A•Cのリップは新色が出ればチェックするし、手元にあるメイク道具にも一つずつ、それなりに思い入れがあって、気に入った理由をちゃんと話せるくらいになった。

きっかけは、と聞かれたら、やっぱり私は、あの日のことを話す。あのギャル兄さんのことを。

あの人にとって、私は数いるお客のひとりにすぎないと思う。でも、お客にとっては、人生や価値観を変えるような出会いが、お店で起きていることって、きっとたくさんある。

でも私は、たぶん一生忘れない。とあるギャル兄さんが、私をレリゴーさせてくれたということを。


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