映画『アバウト・タイム 』と運命愛(ニーチェ)について
The truth is I now don’t travel back at all, not even for the day. I just try to live every day as if I’ve deliberately come back to this one day to enjoy it as if it was the full, final day.
今の僕は一日であっても過去に戻らない。
まさに自分は毎日を楽しむために未来から来て、これが最後だと思って今日を生きる。
映画『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』より
いやあ〜めちゃくちゃ良い映画でしたね。
主題歌の「How Long Will I Love You」も凄く好きでした。
高校生の頃から、ジャケットに惹かれてずっと見よう見ようと思ってましたが、やっと見ることができました。毎日を前向きに生きていこうと思える、水みたいに染み込んでくる映画でした。もっと早く観ておけば、という気もするし、一方で、今だからこそって気もします。
偶然かわかりませんが、この映画も、最近読んだ伊坂幸太郎さんの「ペッパーズゴースト」、「終末のフール」も、どの作品もニーチェの思想に通ずるところがあるなと思いました。
基本的に、私は斜に構えた人間なので、ニーチェのような有名な哲学者についてnoteを書くのは若干のためらいがあるのですが、こんな機会もないので、ニーチェもちょっと書こうと思います。
ニーチェは、
永遠と繰り返す永劫回帰の世界においても(※さらに言えば、その運命がシーシュポスの神話のように苦痛な運命だとしても)、「よし!もう一度!」と自ら永劫回帰を望めるように、絶対的な今、生への肯定をすることが大切である、といってます。スパルタですけど、沁みますよね。
いわゆる、運命愛ってやつですね。
なんだかんだ言って、今の時代は「優しさ」や「配慮」が溢れた時代かなと思います。しかも、それに慣れきってしまい、現状に感謝する前に、どんどん「優しさ」「配慮」を周囲に強要さえしているような雰囲気も感じます。
そりゃ配慮に溢れた社会の方が生きやすいのかなとは思いますが、外へ外へ求めて行った、行き着く先は、他責ばかりの息苦しい世界になってしまうのかなとも思うことがあります。
サルトルの「人間は自由の刑に処せられている」という有名な言葉もありますが、自分で選択して行動しなければいけないという重荷に耐えかねて、「親が、友達が、社会が言っていたから〜」と言って他責思考で生きてしまうと、一時的には楽かもしれませんが、結局は自分の世界を狭めてしまう、自分の生きる力を手放してしまうことに繋がっちゃうかなと思います。
要求していくことはもちろん大事なんだけれど、それよりも自分で選択して、自分の名前、責任で引き受けて行くことも大事なので、そこのバランスが大事だよなあって思いました。
「生きられる限り、みっともなくてもいいから生き続けるのが、我が家の方針だ」
「死に物狂いで生きるのは、権利じゃなくて、義務だ」
「外から見てる人はいろんなこと言えるけどね、考えて決めた人が一番、偉いんだから」
なんか、こんな偉そうなことを言って「じゃあ自分はどうなのか」と思い返すと、心が痛いのですが、ネバヤンと関取花さんも同じようなことを歌っていたので、みんなそう思っていると言い訳をして終わりたいと思います。(ニーチェに逃げるなって怒られそうですが。。。)
