「使いにくい」と言われた朝|医療機器UXで本当に見直すべきこと
「前より時間がかかります」
朝の会議室で、そう言われた。
机の上には、配ったばかりの資料があった。
まだ角がそろっていて、紙のにおいも少し残っていた。
新しい仕組みを入れて、1週間。
画面は何度も見直した。
説明会も開いた。
手順書も作った。
やることはやった、と思っていた。
だから、その一言を聞いたとき、胸の奥が少し固くなった。
まだ慣れていないだけでは。
前のやり方に戻りたいだけでは。
そのときの私は、そう見ていた。
私は、画面を見ていた。
相手は、仕事を見ていた。
横に立って見えたもの
数日後、作業を見せてもらった。
私は何もせず、となりに立っていた。
キーボードを打つ音が、思ったより速かった。
画面を切り替えるたびに、少しだけ手が止まる。
説明書どおりには、動いていなかった。
先に確認する情報がある。
途中で人に聞く場面がある。
まとめて入れたほうが速いものもある。
手を抜いているわけではなかった。
むしろ、ちゃんと終わらせようとしていた。
私が作った流れは、画面の中ではきれいだった。
けれど、その人の一日の中では、少しだけ邪魔をしていた。
「ここで戻るんです」
そう言って、マウスが同じ場所を何度か行き来した。
私は、そこを手順には書いていなかった。
言葉の下にあるもの
それから、「使いにくい」と言われると、すぐに直さなくなった。
すぐに説明もしなくなった。
どこで止まるのか。
何を探しているのか。
前より増えた手間は何か。
ひとつずつ聞く。
画面の場所。
順番。
入力するタイミング。
誰かに聞きに行く数歩。
「使いにくい」は、いろいろなものを隠している。
仕事では、似た言葉がよく出てくる。
「確認不足でした」
「共有が足りませんでした」
「意識が低かったです」
その言葉が出ると、会議は少し静かになる。
みんながうなずく。
ホワイトボードに、それらしく書かれる。
でも、机の下では誰かの足が動いている。
まだ終わっていない顔をしている人がいる。
確認する場所が違っていたのかもしれない。
情報が届く前に、判断していたのかもしれない。
手順のほうが、人の動きに合っていなかったのかもしれない。
「確認不足」という言葉だけでは、そこまでは見えない。
もう一枚、めくってみる。
その奥で、誰かの手が止まっている。
資料には映らないもの
以前の私は、問題が起きると外側を見ていた。
相手が分かっていない。
環境が整っていない。
準備が足りなかった。
どれも、言えばそれらしく聞こえた。
でも、それだけを見ていると、
私が勝手に決めていた順番は、そのまま残る。
私は何を当たり前だと思っていたのか。
どの順番で進むものだと決めていたのか。
誰の時間を短くして、誰の時間を増やしていたのか。
資料を見ていると、そこは映らない。
現場で見た画面の端。
止まった指。
小さく戻るマウス。
そういうもののほうが、あとから残る。
その人を見ていたつもりで、
ほんとうは、自分が作った流れを守っていただけだった。
少しだけ黙る
前は、早く答えを出す人にあこがれていた。
会議で先に結論を言える人が、少しまぶしかった。
迷わず線を引く人が、仕事のできる人に見えた。
今でも、早く決めなければいけない場面はある。
そのほうが助かることもある。
でも、最初に出た答えのそばで、少し止まることが増えた。
誰かのせいにしたくなるとき。
「確認不足」で終わらせたくなるとき。
「使いにくいなら慣れてください」と言いたくなるとき。
その場で、少しだけ黙る。
いま、何を見ているのか。
画面なのか。
手順なのか。
それとも、その人が終わらせようとしている仕事なのか。
あの朝の人は、たぶん責めていたわけではない。
ただ、そこで起きていることを言っただけだった。
私はその言葉を、小さく扱った。
今でも、新しい仕組みを入れる前は少しこわい。
資料をそろえても、説明をしても、まだ何かを見落としている気がする。
だから、ときどき現場に行く。
少し離れて、画面と手元を見る。
「ここで戻るんです」
そんな声が聞こえる。
画面の端で、誰かの手が止まる。
私はまだ、そこから先を知らない。
だから、もう少しだけ、そのまま見ている。
もし似たような経験があれば、コメントで教えてください。
現場によって見え方が違うテーマだと思っています。
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虹をありがとうございます。