雲は、食べられると思っていた|子どもの想像力が世界を広げる
子どもの頃、本気で思っていた。
雲は甘い。
きっと、綿菓子みたいな味がするのだと。
夏の午後。
縁側で入道雲を眺めながら、母に聞いたことがある。
「あれ、食べたらどんな味なんだろうね」
母は洗濯物を畳みながら、顔も上げずに言った。
「甘いんじゃない?」
たった、それだけだった。
でも私は、その一言を何年も信じていた。
友達に話すと、「馬鹿じゃないの」と笑われた。
少し傷ついた。
それでも、信じるのをやめなかった。
近所には、小さな坂道があった。
そこまで走れば、少しだけ雲に近づける気がしていた。
途中の電柱で息を整え、また駆け上がる。
雲は、少しも近づかなかった。
それでも翌日になると、また同じ坂を走っていた。
あの頃の私は、本気で空へ続く道を探していたのだ。
雲は、近づくと消えた
大人になって、初めて飛行機に乗った。
窓の外いっぱいに広がる雲を見たとき、不思議な気持ちになった。
「ああ、やっと会えた。」
そんな気がした。
機体は静かに雲の中へ入っていく。
視界は真っ白になった。
甘い匂いはしない。
綿のような手触りもない。
ただ、濃い霧の中にいるだけだった。
しばらくして雲を抜けると、さっきまで包まれていた雲が、また白い塊になって浮かんでいた。
近づけば、形はなくなる。
当たり前のことなのに、少しだけ拍子抜けした。
夢が壊れたわけではない。
夢の形が、変わっただけだった。
あの日、消えたのは、雲だけではなかった。
土星の輪を見た日
中学一年の春。
天体観測部の見学に行った。
望遠鏡をのぞくと、小さな輪が浮かんでいた。
土星だった。
写真では何度も見ていたはずなのに、
本物は、まったく違った。
声が出なかった。
帰宅すると、机の上に入部届を置いた。
しばらく眺めて、
私は、それを丸めて捨てた。
望遠鏡は高い。
部費もかかる。
どうせ趣味で終わる。
そんな理由を並べて、自分を納得させた。
今思えば、それは理由ではなかった。
夢を諦めるための説明だった。
数年後、大学の友人が土星を見せてくれた。
あの時より、ずっと大きく見えた。
それでも、胸の震えは中学一年の春の方が大きかった。
初めて見るということには、それだけの力があるのだと思う。
丸めた紙
それから何年も経った。
気づけば私は、誰かの相談に乗ることが増えた。
何かを始めたいという人に、
現実的な話をすることもある。
きっと悪気はない。
経験を伝えたいだけなのだ。
それでも、ときどき思い出す。
机の上で、入部届を丸めた夜のことを。
説明が上手になるということは、
始めない理由を語るのも上手になるということなのかもしれない。
誰の心にも、
一枚くらいは、
丸めた紙が残っている。
今日も、雲は流れている
最近、空を見上げる時間が減った。
信号待ちでも、
電車の中でも、
気づけばスマートフォンを見ている。
ふと顔を上げると、
今日も雲は流れている。
もう、甘いとは思わない。
近づけば消えることも知っている。
それでも、見上げてしまう。
理由は、うまく説明できない。
雲は食べられなかった。
土星にも、手は届かなかった。
それでも、あの日、丸めて捨てた紙のことだけは、ときどき思い出す。
もし、もう一度だけ子どもに戻れるなら、
私はきっと、
あの坂を、
もう一度走る。
その先に雲はなくても、
あの頃の私は、
きっと、そこにいる。
あなたにも、なぜか忘れられない景色や言葉はありますか。
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