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幕が下りても、私は拍手ができなかった

歌舞伎『寺子屋』で聞いた「よくやった」という言葉

先日、歌舞伎『菅原伝授手習鑑 寺子屋』を観た。

幕が下りる。

劇場いっぱいに拍手が響く。

それなのに、私は拍手ができなかった。

隣の人も動かなかった。 前の列の人も、舞台を見つめたままだった。

拍手は鳴っている。

でも、その拍手だけでは足りなかった。

誰もが、たった今見届けたものを、自分の中で受け止めようとしているようだった。

緞帳は閉じている。 照明も少しずつ明るくなる。

それでも、客席にはまだ物語が残っていた。

劇場という場所では、ときどき時間が止まる。

時計の針ではない。 人の心の時間である。

あの日の劇場は、まさにそうだった。

私は歌舞伎を観終えた、という気がしなかった。

何かを見届けてしまった。

そんな感覚だけが、胸の奥に残っていた。

軽い気持ちで劇場へ向かった

その朝は、いつもと変わらなかった。

今日は歌舞伎でも観よう。

そのくらいの軽い気持ちだった。

劇場へ入ると、開演を待つ人たちが、それぞれの速度で時間を過ごしていた。

パンフレットを開く人。 待ち合わせの相手を探す人。 売店をのぞく人。

これから同じ舞台を観るのに、まだ誰も同じ物語を知らない。

私は、この開演前の空気が好きだ。

席に着く。

花道が客席の横をまっすぐ伸びている。

場内アナウンスが流れる。

ざわめきが静まり、照明が落ちる。

客席から日常が消えた。

劇場に来るたび、別の世界へ入る扉の前に立っているような気がする。

幕が開く。

そのときの私は、まだ知らない。

数十分後、一つの言葉が自分の中に深く残ることを。

客席から音が消えた

舞台は、静かに進んでいく。

派手な立ち回りはない。

それでも目が離せなかった。

追われる少年。

その命を守ろうとする大人たち。

避けられない出来事だけが、少しずつ近づいてくる。

江戸時代に生まれたこの物語を、令和の客席で自分が見ている。

それも、遠い昔のものとしてではなく、今ここで起きている出来事のように見ている。

そのことが、途中から不思議でならなかった。

いつの間にか、客席から物音が消えていた。

パンフレットをめくる音もない。 咳払いも聞こえない。

劇場中が、舞台の呼吸に合わせて息をひそめているようだった。

気づけば、肘掛けを強く握っていた。

映画とも違う。 本とも違う。

同じ空気を吸いながら、人が決断していく。

それは、劇場だけが持つ時間だった。

やがて、一人の武士が現れる。

松王丸。

その名が、劇場を出たあとも自分の中に残り続けることになるとは、このときは思いもしなかった。

父は、息子に「よくやった」と言った

首実検の場面である。

舞台の上には、差し出された首。

その前に立つ松王丸。

彼は、自分の息子が身代わりになっていることを知っていた。

それを誰よりも知りながら、知らぬふりをして首を見つめている。

父親として見れば、そこにあるのは我が子の死だった。

けれど武士として、彼はそれを認めなければならなかった。

長い沈黙があった。

ほんの数秒。

それだけなのに、時間の流れが変わったように感じた。

やがて、松王丸が口を開く。

「間違いない。」

その一言で、客席はすべてを知る。

差し出された首は、主君の子ではない。

自分の息子だった。

胸の奥が締めつけられた。

こんな物語があるのか。

そう思った。

だが、本当に心を奪われたのは、そのあとだった。

松王丸は、亡くなった我が子へ向かって言う。

「よくやった。」

たった四文字。

叫ばない。 泣かない。 崩れ落ちない。

ただ、その一言だけが劇場へ落ちた。

抱きしめたかったはずだ。

謝りたかったはずだ。

父親として伝えたい言葉は、ほかにいくらでもあったはずだ。

それでも彼は、それらをすべて胸にしまい、武士として立ち続ける。

客席のどこかで、小さく鼻をすする音が聞こえた。

私は、松王丸を見ていたのではなかった。

人という存在を見ていた。

物語は、劇場の外までついてきた

幕が下りる。

照明が明るくなる。

拍手が続く。

それでも、すぐには立ち上がれなかった。

劇場を出る。

夕方の風が頬をなでる。

街は何も変わっていない。

信号は青になり、人は駅へ向かって歩いていく。

変わってしまったのは、自分だけだった。

駅まで歩きながら、「よくやった」が何度も頭の中で繰り返された。

なぜ、あの一言だったのだろう。

役者の芸だったのか。

物語そのものが持つ力だったのか。

三百年近い時間を生き延びてきた言葉の重みだったのか。

答えは、見つからなかった。

ただ、一つだけ確かなことがあった。

あの父親の姿の向こうに、自分自身の人生を見ていた。

私にも、言えなかった言葉がある。

仕方がない、と言って飲み込んできたことがある。

誰にも見えないまま、自分の中にだけ残っている時間がある。

きっと、多くの人にもそういうものがあるのだと思う。

だから江戸時代に生まれた物語は、今も終わらないのだろう。

家に帰る。

湯を沸かす。

急須に茶葉を入れる。

立ちのぼる湯気を、しばらく眺めていた。

スマートフォンには、いくつか通知が来ていた。

けれど、すぐに開く気にはなれなかった。

テレビはつけなかった。

静かな部屋で、お茶をひと口飲む。

それでも、あの日の「よくやった」は、まだ湯気の向こう側にいた。

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