赤いスカートと三角関数|学びは、思いがけない記憶と結びついている
赤で覚えたもの
サイン。
コサイン。
タンジェント。
その三つの言葉を思い出すと、今でも先に浮かぶのは、数式ではない。
赤いスカートである。
中学二年生の教室。
午後の光。
黒板の上に残った白いチョークの粉。
若い数学の先生が、その日だけ少し寄り道をするように、三角関数の話をしてくれた。
まだ習う範囲ではなかったのだと思う。
角度と比。
直角三角形。
見えないところで、何かがきれいにつながっているらしい。
けれど、そのときの私には、ほとんど分からなかった。
分からない。
それなのに、不思議と忘れたくなかった。
理解は追いついていない。
でも、これはいつか必要になる。
そんな予感だけが、身体のどこかに残った。
先生が黒板へ向かう。
赤いスカートの裾が、小さく揺れた。
私は心の中で決めた。
この三つの言葉を、赤で覚えよう。
サイン。
コサイン。
タンジェント。
赤いスカートに結びつけてしまおう。
今思えば、ずいぶん乱暴な記憶の仕方である。
数学と赤いスカートに、何の関係もない。
それでも、そのおかげで言葉だけは残った。
三角関数を理解したのは、ずっと後だった。
けれど、その入口だけは失わなかった。
橋になるもの
考えてみると、私の記憶はいつも少し遠回りをする。
公式を公式のまま覚えるのは苦手だった。
定理を、そのまま頭へ置いておくことも得意ではない。
何か別のものが必要だった。
夕方の校庭。
雨の日の窓ガラス。
廊下に残るワックスの匂い。
誰かの声。
そうした感覚に結びついたとき、抽象的だったものが初めて、自分の中へ入ってくる。
論理は、そのままでは留まらない。
色を通る。
音を通る。
匂いを通る。
そうして初めて、生きた記憶になる。
だから私は、論理を覚えているのではない。
論理へ渡る橋を覚えているのだ。
あとから分かるもの
若い頃は、それが少し遠回りに思えた。
もっと器用に覚えられる人がいる。
一度見ただけで理解できる人もいる。
そんな人が羨ましかった。
けれど今は、少し違う気がしている。
知識は、頭の中へ運び込めば終わりではない。
いつか必要になったとき、自分の中で動き始めて初めて、その人の知識になる。
その意味では、私にとって赤いスカートは、三角関数そのものではなかった。
理解へ向かう橋だった。
あの日は渡れなかった橋を、何年もあとになって、私はゆっくり渡った。
だから今でも、
サイン。
コサイン。
タンジェント。
その言葉の奥では、赤い裾が静かに揺れている。
論理は、ときどき論理だけでは生き残れない。
何かの色を借りて。
何かの匂いを借りて。
何かの音を借りて。
そうやって、いつか理解できる日まで、自分の中で静かに待っている。
私にとって、その色は赤だった。
あなたにも、なぜか忘れられない景色や言葉はありますか。
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