「よかったね」と言われた夜|挑戦のあとで気づいた成長の話
「可能な最大限で」
あの日、あの人は静かに言った。
「可能な最大限で、お願いします」
最初は意味が分からなかった。
期限もない。
基準もない。
ここまでやれば合格、という線もない。
線を引くのは、自分だった。
私は少し怖くなった。
誰かに「ここまででいい」と言ってほしかった。
でも同時に、少しうれしくもあった。
この人は、私を若いからと手加減していない。
一人の人間として、私の限界を信じてくれている。
そう感じたからだった。
自分で自分に点数をつける夜
家に帰ると、私は机に向かった。
一度完成した。
でも、違うと思った。
消した。
もう一度作った。
また読み返した。
また直した。
時計は深夜を回っていた。
眠かった。
目も痛かった。
それでも、やめられなかった。
誰も見ていない。
だからこそ、ごまかせなかった。
「これが、自分の最大限なのか。」
その問いだけが、何度も戻ってきた。
私はその夜、初めて知った。
自由とは、案外重いものなのだと。
誰かの基準に合わせるほうが、ずっと楽だった。
でもその夜は、自分で自分を納得させなければ終われなかった。
苦しかった。
でも、不思議と楽しかった。
「楽しかったです」
朝になった。
薄い光が部屋へ差し込んでいた。
完璧かどうかは分からない。
でも、その時点の自分が持っているものは、全部出し切ったと思えた。
提出すると、その人は私の顔を見て言った。
「徹夜した?」
「徹夜でやりました。」
そう答えたあと、私は自然に続けていた。
「でも、楽しかったです。」
その瞬間、自分でも気づいた。
楽しかったのは、褒められるからではない。
自分の中に、まだ使っていない力があると知ったからだった。
祝宴
数日後、その人は言った。
「お祝いをしよう。」
連れて行かれたのは、小さなイタリア料理店だった。
店内は少し暗く、テーブルには柔らかな灯りが落ちていた。
その人はワインリストを開き、迷わず言った。
「バローロを。」
私はその名前を、その夜初めて覚えた。
グラスの中には、深い赤。
黒にも見えるほど濃い色だった。
味は、正直よく分からなかった。
でも、その夜の空気と一緒に飲むと、不思議とおいしかった。
あのワインを飲んでいたのではない。
私は、自分の努力を味わっていたのだと思う。
「よかったね」
食事の途中、その人は多くを語らなかった。
「すごい。」
とも、
「完璧だ。」
とも言わなかった。
ただ一言。
「よかったね。」
その言葉だけが、今も残っている。
評価ではなかった。
採点でもなかった。
私が、自分の限界の少し先まで行って帰ってきたことを、一緒に喜んでくれているようだった。
私は少し泣きそうになった。
記憶を作るためのお金
会計は、驚くほど高かった。
食事とワインだけで、自分では払えない金額だった。
帰りはタクシーだった。
夜の街の灯りが、窓の外を流れていく。
私はぼんやり考えていた。
あのお金は、料理代ではなかった。
ワイン代でもなかった。
あの夜に使われたお金は、
記憶を作るためのお金だった。
人生の節目に、小さな目印を立てるためのお金だった。
若い人には、祝宴が必要だ
今なら思う。
若い人には、努力だけでは足りない。
祝宴が必要なのだ。
頑張れ、と言う人は多い。
でも、やり遂げたあとに、
「よかったね。」
と言ってくれる人は、案外少ない。
人は、祝われることで、自分の努力の意味を知ることがある。
あの夜、祝われたのは成果ではなかった。
限界までやり切った私自身だった。
だから今でも、何かに挑む前になると、あの夜を思い出す。
深い赤のバローロ。
静かな店の灯り。
そして、
「よかったね。」
という声。
私はもう、バローロの味をほとんど覚えていない。
でも、あの言葉だけは忘れない。
人は、ときどき誰かの祝福によって、自分の価値を知る。
あの夜の祝宴は、若かった私へのご褒美ではなかった。
「ここまで来たことを、忘れないでほしい。」
そんな願いを込めた、一人の先輩からの贈り物だったのだと思う。
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