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ナポリタンの向こう側|純喫茶で思い出す、昭和の時間

高架下の光

改札を出る。

右に折れる。

アーケードの音が、少しずつ遠くなる。

自転車のベル。

惣菜屋の油の匂い。

夕方の買い物袋を下げた人たちの声。

その全部が、背中の方へ流れていく。

蔦。

灰色の壁。

古いビルの一階。

緑の隙間から、ネオンの文字が滲むように灯っている。

gion。

ネオンの赤が、少し遅れて揺れる。

重い扉を押す。

外の音が、一枚、剥がれる。

赤いステンドグラス。

緑のステンドグラス。

ピンク色の壁に、光が斜めに落ちている。

新聞を読む人がいる。

小さな声で話す二人がいる。

何も急いでいない人がいる。

店の中には、時間の種類がいくつもあるように見える。

カウンターの隅。

いつもそこに座る。

なぜ、他の店ではだめなのか。

ガラスの向こうの色

光は、色を持って落ちてくる。

赤は少し濃く。

緑は少し暗く。

混ざり合う場所だけ、橙になる。

この配合は、二度と同じにはならないらしい。

——これは、喫茶店だけの話ではないのかもしれない。

祖母の家の、曇りガラスの窓。

雨の日、外の光がそこだけ滲んで、部屋の畳に色のない虹を落としていた。

幼い私は、その虹の中に足を入れて、色が消える瞬間を何度も確かめていた。

冷たかった。

何も起きなかった。

それでも、もう一度足を入れた。

色は、いつも触れた瞬間に消えた。

gionのステンドグラスも、同じことをする。

見ている間だけ、そこにある。

目を逸らすと、少しだけ違うものになる。

記憶とは、そういう仕組みでできているのだろうか。

あの色をしていない皿

ナポリタンが来る。

湯気。

皿の縁に散ったキャベツ。

マヨネーズの卵サラダ。

色が違う。

世間で言う、あの明るい橙色ではない。

玉ねぎを、何時間も寸胴で煮詰めているという。

甘さの奥に、微かな辛さが潜んでいる。

麺は硬め。

ケチャップの主張は薄い。

一口目、混乱する。

二口目、輪郭が現れる。

三口目には、もう他のナポリタンでは満足できなくなっている。

皿は、まだ熱い。

けれど、私は本当にこの味を思い出したかったのだろうか。

皿の向こうで、ステンドグラスの赤が揺れている。

隣の席で、誰かが小さく笑う。

スプーンがカップの縁に当たる。

短い音がする。

昔も、同じ音を聞いた気がする。

そのとき何を考えていたのかは、もう思い出せない。

ただ、世界のほとんどが、まだ答えを持っていないもののように見えていた。

メニューの文字も。

窓の外を歩く人の影も。

皿の上に立つ湯気も。

自分が何を待っているのかさえ、分からないままだった。

ここに来るまで、何度この皿を注文してきたのだろう。

そのたびに、何を確かめていたのだろう。

二度目の扉

皿を前にして、すぐにはフォークを取らない。

光が、少し動く。

橙が濃くなる。

夕方が近い。

この店に来るとき、私はいつも、何かを取りに来ているつもりでいる。

けれど扉を開けた瞬間、目的はいつも消えている。

残るのは、光の配合と、皿の匂いと、確かめきれない何かだけだ。

カップの底で、氷が小さく鳴る。

フォークを持つ前から、もう別の扉が開いている。

あの皿の向こうにあるのは、味だけではない。

ステンドグラスの赤が、ただの赤ではなかった時間。

カップの音が、何かの合図のように聞こえた時間。

窓の外を歩く人の影に、まだ名前をつけずにいられた時間。

人は、場所へ帰るのではないように見える。

その場所でしか取り戻せない、世界との距離がある。

私の場合、それは阿佐ヶ谷の、あの皿だった。

あの色をしていない、ナポリタンだった。

あなたの場合は、何だろう。



あなたにも、なぜか忘れられない景色や言葉はありますか。
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二毛猫 虹をありがとうございます。